ジョン・レノンを知らない人はいないと思います。
彼が亡くなって今年で40年になります。
そしてその妻であるオノ・ヨーコさんも日本人の間じゃなくても有名で、海外でもとっても知られていますね。
私は昔、留学で約1年間ほどニューヨークに住みましたが、その頃に「ダコタ・ハウス」の前まで何度か行っています。
その当時はジョン・レノンが亡くなって丁度10年という時でした。
その高級アパートメントはセントラルパークに面しています。
↑ ダコタ・ハウスです
やはりセレブが沢山今でも住んでいますし、一般人じゃなかなかそのお家賃は払えません。
私は一目みたいというだけでダコタ・ハウスへ初めて行った時、セントラルパークの方へ目をやると、「可愛らしいリス」がこっちを見ていて目が合いました。
心の中で何故か「ジョン??」って話しかけていましたが、逃げる訳でもなくじっとこちらを見つめているのです。
ジョン・レノン様とは、決して知り合いでもないのに、図々しい奴です!(笑)
↑ セントラルパークにはリスがいます…たまたま会えたリス君
その日から私の中では、
ジョン・レノン=ダコタ・ハウス=リス
という連鎖が頭の中でグルグルするんです(笑)
ダコタ・ハウスを訪れる観光客はもの凄く多いですが、入口には常に警備員が常駐しています。
そして勿論、住人以外は立ち入り禁止になっています。
ダコタ・ハウス自体は「ロ」の字型になっていて、中庭には噴水があります。
このアパートへの入居審査はニューヨークで最も厳しいと言われており、セレブでも断られたりするそうです。
おそらく知名度やお金持ち度ではなく、格式のような部分が重んじられているように感じます。
ジョン・レノンさんが亡くなったのは、40年前の12月8日の深夜で、レコーディングスタジオから帰宅したところを背後から4発銃で撃たれたのです。
ジョンはパトカーの後部座席に乗せられて、救急病院に向かいましたが、数回の輸血もむなしく亡くなってしまいます。
「既に助かる見込みはなかった」と言われています。
彼を撃ったのは当時25歳のハワイから来たマーク・チャップマン(Mark Chapman)という男で、逮捕されるのを待っているかのように現場で本を読みながら待っていたと言います。
↑ セントラルパークの周りには高級アパートメントが沢山!
実はこの犯人は、数時間前に出かけるジョンにサインを書いてもらっていたというのです。
サインを書いてくれたのに何で殺さなくてはならなかったのか…。
彼自身もジョンのファンだったのに何故…。
オノ・ヨーコさんも後に語っていますが、「あの午後、ジョンは急いでいた。サインをする必要もないのに、サインをしてあげたのだ。後に裏切るそのファンのために!」
サインをする間、ジョンの顔を見つめているマークの写真をマスコミが公開したが、オノ・ヨーコさんは、「この写真を見るのが何より辛かった」と言います。
気持ち、よくわかります…。
↑ 「平和」の本当の意味を教えてくれたのかもしれません
マークが事件を起こした理由は「楽曲「ゴッド」の歌詞に、「神を信じない、信じるのは自分とヨーコだけ、ビートルズも信じない」と歌っているからだと語っていますが、「何言ってるんだ!!」と怒りさえ感じます。
「サインの仕方が気に入らなかった」とも言っています。
そんなことだけで、才能あるミュージシャンの命を奪う理由には全くもってなりません!!
マークは終身刑を言い渡されているため、現在も服役中で、12回目にあたる次の仮釈放審査が2022年に控えています。
今でも「イマジン」を聴くと、なんだかもの凄く悲しくなります。
特段、ビートルズのファンだったという訳でもないのです。(楽曲は大好きですが…)
だけど、ジョンが亡くなって10年後に訪れたあのダコタ・ハウスとリスを思い出し、とてもセンチメンタルな気持ちになるのです。
ダコタ・ハウスは1972年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に選ばれたのを始め、1976年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されました。
このアパート前のセントラルパークを5分ほど歩いたところに、「ストロベリーフィールズ」という記念碑があります。
↑ ストロベリーフィールズです!
今でも献花に訪れるファンが後を絶ちません。
もう40年も経ってしまったということは事実ですが、不思議な感覚に陥ります。
当時私も28歳だったんだな~、そして30年経ち、そろそろニューヨークに再訪したいなと思っていた矢先のコロナ…。
もう一度、私はあの場所に立ち、セントラルパークを眺め、リスと遭遇できるつもりでいます(#^^#)