「母の日」にカーネーションって言うのはずっと変わっていませんね。
これはアメリカから日本に明治時代に渡ってきて、イベントとして広まった風習のようです。
20世紀初頭、アメリカのウェストバージニア州でアンナという女性が5月に亡き母を偲んで教会で追悼会を開きました。
↑ 普段言えない「ありがとう…」を伝える日でもあるよね!
その時に母が好きだった白いカーネーションを参加者に一輪ずつ配ったことが最初だったのです。
アンナの母を想うこの気持ちに打たれた参加者から、大好きな母にこのカーネーションを贈るイベントとして州全体に広まり、やがては国を巻き込んで全ての州に広がりました。
そして1910年になるとウェストバージニア州で正式に「母の日」を5月の第2日曜日に制定することが決まりました。
追悼会が開かれたのが5月の第2日曜日だったことに起因します。
世界中の「母の日」が5月に多いのも、この州の動きが大元だったのだと思います。
それが明治時代に日本でも広まり、イベントとして浸透していったようです。
実は紀元前のギリシャとかでも「母の日」を思わせるイベントがあったという文献も残っています。
「神々の母・リーアに感謝する春祭り」がそれに当たり、17世紀のイギリスでも出稼ぎしている労働者を「母に会うために故郷に帰る日を設けたマザーズ・サンデー」という風習があったようです。
私は「母の日」ってあって当然!って思うところがあります。
だって世界中の母は偉大だと思いませんか?
子供のためなら、あんなに苦しい出産を乗り越え、どんなに辛くても仕事や家事など頑張れますもんね!
逆に虐待とかしちゃう母は、何か「心の病気」であるとしか考えられません。
勿論、「父の日」も大事ですが、「母の日」あっての「父の日」という感じもしちゃいます。(世のお父様方、ごめんなさい、笑)
アンナの追悼会で配られたお花は白いカーネーションでしたが、皆さんは何色のカーネーションを贈りますか?
私は赤やピンクが多かったと記憶しています。
ここでちょっとカーネーションの花言葉を…
となっています。
このことからもわかる通り、アンナは亡き母に「あなたのことを今でも愛しています」という意味を込めてい「白いカーネーション」を参加者に配ったのだろうと思われます。
実は赤いカーネーションは元来、野生種にはなかった色なんです。
赤いカーネーションは母の日の定番でもあるので、不思議な感じがしますね(#^^#)
この他の色では、紫・オレンジ・黄色・青などのカーネーションも改良によって誕生しました。
唯一避けた方が良さそうな色が「濃い赤」色のカーネーションです。
花言葉が「欲望・心の哀しみ」です。
花言葉が気になる人もいるかもしれないので、贈るのは避けた方が良さそうですね!
↑ 子供が小さいときの作品とかも捨てられなくて残っています(*´▽`*)
今、横須賀の母はホームにいます。
会うことも差し入れもNGなので、何もできません。
ホームの通信に母が載ると、弟がその誌面をLINEで送ってくれます。
コロナが終息するまで頑張って欲しいなって心から思います。
せめて、亡くなる前にもう一度会いたいです(´•̥ ̯ •̥`)
自分も母ですが、子供たちには特に何も望みませんね。
元気で仕事を頑張ってくれていればそれで充分です!
娘の気持ちと母の気持ち、その両方を知ることが出来ただけで、女性に生まれてきて良かったと思ってしまいます(#^^#)