沖縄の首里城火災があったのは2019年10月31日の未明でした。
正殿と北殿がほぼ全焼し、朝7時になっても鎮火しておらず南殿にも燃え広がってしまいました。
このタイミングは正に、琉球王朝の華やかな儀式や行事を再現する首里城祭(主催・同実行委員会)が27日に開幕したばかりで、11月3日まで開かれる予定でした。
首里城は1429年から1879年までの約450年間もの間、琉球王国の中心的な城で政治と文化の中心として欠かせない建物でした。
その後、「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されましたが、1945年の沖縄戦で焼失してしまいます。
戦後になって、跡地は琉球大学のキャンパスになりましたが、大学が移転すると復元事業が行われて1992年に本土復帰20周年を記念して国営公園として復元されました。
火災から一年、当時駆け付けた消防員の方の言葉が心に響きました。
首里城には自分が19歳の頃に一度、そして20年近く前ですが子供たちを連れて一度訪れています。
沖縄の方にとって首里城焼失がどんなに悲しいことだったのかを考えると胸が傷みます。
「沖縄の象徴」とも言える首里城でしたから、自分が住民だったなら、きっと涙で火事の様子が見えないぐらいだったのではないかと思います。
火が鎮圧されたのは約8時間後のことでした。
そして完全に消火を終えたのは午後1時を回っていました。
1980年代以降に30年をかけて少しずつ復元されてた矢先のことで、関係者の落胆は大きかったと思われます。
建造物だけでなく多くの美術品や調度品なども焼失してしまったことになります。
原因ははっきりとはしていませんが「電気系統の事故」だったと言われています。
↑ まさに「沖縄の象徴」とも言える建物でした!
修復にも使われた「漆」は油を含んでおり、通常より燃えやすかったのかもしれません。
南殿と寄満(ゆいんち)に保管されていた「県の指定有形文化財の工芸品や絵画」を含む計1,109点は耐火性収蔵庫を開いてみたところ、焼失を免れていました。
所在が確認できなかった美術品は401点で、最悪な火災だった割りには救えた文化財が多かったと言えるかもしれませんね…。
約1ヶ月後には木造で再建されることが大枠で決定し、自治体や民間からの寄付を募る「首里城基金」と設け、財団はホームページでも基金への寄付を広く呼び掛けて収蔵品の修復促進へと繋げていきました。
「首里城復元に向けた技術検討委員会」を立ち上げて、委員長には高良倉吉琉球大名誉教授があたりました。
正殿の骨組み「大径材」(最小径が30センチ以上の丸太)は原則、国産ヒノキを使用することに決定しました。
沖縄にはヒノキがほとんど自生しておらず、県外から調達することに決定しました。
今年の3月には屋根の一部が焼失した奉神門の瓦ぶきの応急工事が完了しました。
全焼した正殿などの再建は今年の後半には本格化しますが、正殿に入る前の広場は火災以前により近い状態で見学ができるようになっています。
まだ時間はかかりますが、いつの日か「本当に火災があったの?」と思える程に再建された首里城を観れる日も遠くないかもしれませんね。
今は途中の段階ですが、沖縄に行ったら是非寄ってみたいと思います。
『ベストウェスタン沖縄恩納ビーチではフロントに「首里城再建募金箱」を設置しています』というニュースを見たこともあるので、沖縄各所にきっと募金箱があるのだろうと思います。
募金箱があったら「首里城の復活」を祈ってほんのわずかではありますが、募金もしてきたいと思います。
↑ 夜の首里城のライトアップも素敵でしたね!
ニュースで観たあのショックの瞬間からもうすぐ2年が経ちます。
現在では頻繁に「防災訓練」も行っているようです。
大事なんですよね!この訓練が…。
シャッターやスプリンクラーの適切な設置なども火の勢いを食い止めるためには欠かせないと思います。
沖縄に限らず、日本には守っていかないといけない重要文化財が各都道府県に存在しています。
この貴重な経験を活かして、全国で防火、防犯などに対する危機意識の向上、普段からの訓練や警備などを大切にして欲しいなって思います。
ご近所の火事を20年ぐらい前に見て、ソウルで繊維街の大火災を目撃して、火事は本当に怖いと思っています。
↓ ソウルの火事についてちょこっと触れた記事はこちら
大事な「モノ」が失われてしまう怖さは火事が一番だと思います。
これからも首里城の復活を見守って行きたいと思います。
コロナ収束後には沖縄の海、そして首里城へもきっと行ける日が来るのでは?と思っています。(#^^#)