おふろcafe「Utatane」のホテルはカフェの2階と3階部分になるようです。
ダブルやツイン、他にも部屋の種類があるようですが、直前で取ったこともありおそらく一番お安いツインだったと思います。
↑ カフェ部分の充実度は相変わらず素晴らしいです!
ホテルの方は泊まるだけならなかなかのお部屋ですが、次の点はちょっとマイナス点でした。
- ベッド周りにコンセントが全然ない
- 廊下の音は響きやすい
他は全てこじんまりとまとまった感じのお部屋で、お風呂のあとに泊まるというのには問題ないですね。
ベッド周りはあちこち探しましたがコンセントが無かったので、PCを繋げることが出来ず、どうしても下のカフェで作業するしかありませんでした。
↑ 遠目で観て真ん中のがコンセントだと思っていたけど違いました(^^;)
洗面台の方にあるだけですので、携帯の充電などは自分の持っていたモバイルバッテリーを充電して使いました。
↑ トイレは単独で、お風呂は付いている施設なのでバスタブなどはありません
キャンプ帰りで持っていたので良かったですが…。
↑ ここのコンセントだけというのはちょっと不便ですね…
目覚ましとしては携帯をベッドサイドに置きたいのでここは改善していただきたいです。
廊下の話し声とかが結構聞こえます。
隣の部屋の声とかはそこまで気になりませんでした。
朝ごはんは1,000円で付けていただきましたが、本当に簡易的なものをカフェで食べる感じになります。
そこまでお得感は無かったかな…。
↑ フィンランドのパン??あまりパンという味はしなかったな…
スープは野菜たっぷりでとっても健康的!
↑ これは友人が「うまい!」と絶賛してました(#^^#)
パンを2種類から選べてスープとデザートが付きますが、このデザートが元々500円越えなので、「これが一番美味しい!」と友人が話しておりました。
↑ 「ミルクチーズケーキ工房」の「ふろまあじゅ」です(#^^#)
おふろcafeを10時のチェックアウトギリギリで出て、向かったのは東京からちょっと離れた方向へいきますが、比企郡吉見町にある「吉見百穴」です。
吉見百穴はちょっと遠くからでも「穴がいっぱい」とわかるような不思議な空間です。
↑ 穴がいっぱい👀
入園料は300円で、入ればお土産店も展示室も見ることができます。
ここも階段がかなりありますが、何とか頂上までいけました。
↑ 月曜日だったので人は少なくて良かったです!
↑ こちらも入ってみることができます
ここの歴史は大きく2つあります。
- 個室のお墓としての歴史
- 軍需工場としての歴史
1.個室のお墓としての歴史
個室のお墓と言っても「追葬」が出来るように入口はオープンで緑色の石の蓋があったと言います。
今ではそのまま穴が見られます。
時代は西暦652年の「班田収授法」の頃のことです。
今までの「古墳」という埋葬方法が、「薄葬令」(簡単に葬ること)で禁止されたことでこの穴に埋葬する方法が取られたということです。
↑ 入口はかがんで入る感じですが、入るのは禁止のようです
この写真の穴は複数人が入る比較的大きな穴だったみたいです。
↑ この右側の石段がある部分に遺体を安置したということです
地元の有力者などがこの方法で葬られたようですが、住居だったという説もあるようです。
住居にしてはあまりにも狭すぎることから、やはり各地にみられる横穴はお墓という説が一番じゃないかと結論づけられています。
↑ 一人用の小さなものと2人以上の少し大き目の穴があります
2.軍需工場としての歴史
昭和19年から20年にかけて、吉見百穴とその周辺の丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られました。
東京都武蔵野市の中島飛行機の工場は、空襲から逃れるために地下に移転する計画がわきあがり、当時この会社の工場があった吉見に工場の移転が急がれたのです。
吉祥寺住みの友人はこの中島飛行機と言う会社に興味を持って調べていました。
現在、吉見百穴地下軍需工場跡内の点検・調査のため、地下軍需工場跡内には立ち入りが出来なかったのが残念です…。
↑ これは入りたかったな…うーん、残念(◎_◎;)
↑ 格子の穴から撮ってみました!ちょっと奥が見えませんね…
この軍需工場の対象となったのは松山城から岩粉坂までの直線距離にして約1300メートル部分だそうですので、かなりの距離ですね!
この工事は設計図に基づいて作られた訳ではないので、行きあたりばったりの部分が多く、松山城下には第三紀層の固い岩盤があったりして落盤が起こりやすかったりして工事はかなり難航したようです。
終戦の年の7月にやっと機能しはじめた工場ですが、8月に終焉を迎え、間に合わずに終わった施設になってしまいました。
↑ もう1つの入口の格子からも撮ってみました…
この工事に携わったのは全国から集められた3,000〜3,500人の朝鮮人労働者でした。
最後の朝鮮人の帰国に際し、日本と朝鮮との平和を希望して植えられたムクゲの木が今でも成長を続けているそうですが、その木がどこなのか…は探せませんでした。
日本人が戦線にいたからかもしれませんが、この歴史には心がざわつきました。
↑ この衣装は朝鮮っぽいですね!
頂上に登ると、眼下には吉見町の街並みが広がっています。
↑ ここはお墓なのよね…なんか不思議な気分になります…
↑ 友人に呼ばれたらこんなきのこが…「ヒイロタケ」というみたいです。
「撮ってみて」と言われマクロで撮ってみましたが、これは難しい…
↑ これがなんだかわかりませんね!柿のような色ですね…(^^;)
ここら辺は「焼き鳥」が名物ということなので、友人と焼き鳥居酒屋さんでお昼を食べることにしました。
焼き鳥と言えば…ですが、友人が「ジンジャエールでいいよ!ちょっと飲みなよ」と言ってくれて…(笑)
そこからの記事は月曜日に書きたいと思います。