負の世界遺産なんて言葉は日本国内での用語であってユネスコでは明確な分類をしている訳ではありません。
それでも世界中に人類が犯した忘れてはいけない悲惨な出来事を今なお戒めとして残している数々の遺産があります。
世界遺産には基準番号というものがあり、負の遺産には必ず(6)という附番がされているので目安にもなります。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
「ウィキペディアを引用する」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より(2020/6/7日曜日21:00)UTC
この(6)の番号を含む基準で選定されたもの、或いは(6)のみの基準で選定されたものがあるのですが、(6)のみで遺産に登録された3つの遺産が私の中では最も「負」であると想える遺産です。
その3つとは、
です。
1.セネガルの「ゴレ島」とは、
アフリカの西南端にあるセネガル共和国には、ゴレ島という島があります。
セネガルの首都はダカールですが、その沖合い3kmの所にあるのがこのゴレ島です。
↑ 「奴隷の家」があるゴレ島
この島はかつて奴隷貿易の拠点として栄え、統治していたフランスが1815年に廃止されるまで続いていました。
今ではセネガル19区の1つとして旧市役所も機能していますが、その当時奴隷の収容に使われていた「奴隷の家」が残されています。
今再び、問題視されている民族間や肌の色による差別。
絶対にあってはなりません!!
ゴレ島は最初にユネスコが12の世界遺産を決めた時に選ばれた最古の遺産の1つです。
二度と繰り返してはいけない人類の負の遺産第一号です。
2.ポーランドの「アウシュビッツ収容所」とは、
ヒトラー率いるナチスドイツがポーランドのオシフィエンチム市郊外に造った、史上最大の犠牲者を出した強制収容所です。
「アンネの日記」で有名なので、一度は読まれた方も多いと思います。
当時ポーランドのオシフィエンチム市はドイツの占領下にあったことで、今でもポーランドに位置する負の世界遺産となってしまいました。
あんな大量虐殺が二度と繰り返されることがないよう、しっかりと末代までも残してほしいと思います。
ユダヤ人に対する差別。戦争下でも差別は当たり前のようにあったのです。
今なお繰り返されている「戦争」に対し、遺産はどこまで力を発揮できるものなのでしょうか。
3.日本の「原爆ドーム」とは、
これは日本人なら誰でも知っている負の世界遺産です。
元々は「広島県物産陳列館」として造られた建物が原爆投下によって今のような「広島平和記念碑」と呼ばれるようになりました。
↑ 原爆ドームは大切なメッセージを今なお伝え続けています
原子爆弾投下の目的物は相生橋だったといいます。
アメリカ軍のB-29がが原爆「リトルボーイ」を投下したのは1945年8月6日の午前8時15分でした。
ドームが全壊しなかったのは奇跡的だったと思います。
屋根の構成が銅板だったことも溶け切らなかった原因だとも言われています。
一時は取り壊しを希望する者も多かったのですが、ドームがこの先ずっと原爆や戦争の恐ろしさを伝えてくれるのなら、それは大切な負の遺産だと思います。
良い遺産ばかりじゃないことが残念ではありますが、私たちは次世代の子供たちに伝えて行かなくちゃいけないことが沢山あります。
- 奴隷
- 捕虜
- 原爆
3つのダメを教えてくれたこれらの「負の遺産」をこれからも大切にしていきたいですね!
東京は、ステップ3に移行ですね!