息子が京都での撮影から帰ってきて「八ッ橋」をお土産に買って帰ってくれました。
やはり餡が入っていて甘いので数多くは無理ですが、私もいただきましたm(__)m
↑ 雨で撮影が延びたので、また行くそうです…(^^;)
実はこの八ッ橋には裁判沙汰になった歴史があるんです。
京都観光でお菓子をお土産にする方の約45%がこの「八ッ橋」を購入するという京都を代表するお菓子です。
現代では餡入りの生八ッ橋が主流で、香料に「ニッキ」を使用していることでも知られています。
八ッ橋の起源には2つの説があると言います。
の2つの説です。
井筒八ッ橋本舗が聖護院八ッ橋総本店を相手に起こした裁判で、その内容は「聖護院八ッ橋が元禄二年(1689)創業をうたうのは事実と異なる」というものでした。
聖護院八ッ橋のホームページでは、
八ッ橋が誕生したのは、元禄二年(1689年)です。
江戸時代前期、箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校は、
「六段の調べ」など数々の名作を生み出し、近世筝曲の開祖と称えられています。歿後、黒谷の金戒光明寺にある常光院(八はしでら)に葬られましたが、墓参に訪れる人は絶えることがありませんでした。
そのため検校没後四年後の元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、
黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。 現在の当社本店の場所にあたります。
以来、300年余りに渡り、当社は八ッ橋を製造し続けています。
となっています。
↑ https://shogoin.co.jp/product/より引用させていただきました
一方の井筒八ッ橋本舗のHPでは、
文化二年(1805年)、初代津田佐兵衞が業を起こし、そこから井筒八ッ橋本舗の歴史がはじまりました。
当時祇園の茶店で人気を博していた堅焼きせんべいが、箏曲の祖・八橋検校の遺徳を継承した琴姿の「八ッ橋」です。
これこそが「井筒八ッ橋」として今に受け継がれている、井筒八ッ橋本舗の原点でございます。
↑ https://www.yatsuhashi.co.jp/news/blog/news_230605_1.htmlより引用させていただきました
両者の起源は「八橋検校を偲んで作られたもの」という点では、同じようなルーツなんですね!
聖護院以外の同じルーツを持つ5社で構成される「京銘菓八ツ橋工業協同組合」は2017年に聖護院八ッ橋総本店に対し、「発祥に関する誤解を与える表現」だとして是正を求めて民事調停を申し立てましたが、聖護院側は、「申し立ての内容が法が定める民事調停の対象に該当しない」という理由で調停打ち切りを主張。
調停は不成立となっています。
その後も、井筒八ッ橋本舗は単独で提訴に踏み切りましたが、2020年の6月に、
- 「表示は創業年だと解釈される」
- 「品質などを誤認させる表示にはあたらない」
として井筒側の提訴を棄却しました。
最終的には、大阪高等裁判所が2021年3月11日に、最高裁判所が9月14日にそれぞれ棄却したことで井筒八ッ橋本舗の敗訴が決定したのです。
ルーツを巡る争いの最初は70年以上も昔からと言うのですから、本当に長い戦いだったのですね…。
ここまで有名なお菓子ですから、大昔のことでルーツに関しては言い伝えだったりが主流で本当のところはわからないことが多いと思います。
私達が美味しいお菓子を食べられることは本当に嬉しいことなので、もう戦わないで欲しいというのが本音だったりします(^^;)
↑ 4つの味が楽しめるのを買ってきてくれました(#^^#)
両者の確執は結構有名なお話のようですが、私は食べ比べとかもしたことがありませんのでどちらが好きとも言えません。
↑ 1つは中の餡がブルーベリーの味でした!
京都だけでなく、日本を代表するようなお菓子「八ッ橋」がこれからも末永く発展していくことを願っておりますm(__)m
おそらく、そんなことを知らない息子は数多くある八ッ橋のお店の中で「聖護院」の八ッ橋を選んだ理由は何だったのでしょう…(笑)
なーんてことを考えちゃいました…(*´∀`)
↑ 美味しくいただきましたm(__)m
京都へもしばらく行ってないので、行きたいなぁ…。
婿の実家から送っていただいた美味しい静岡の新茶と共に、お土産の八ッ橋を食べながら、「そうだ記事にしよう…」と思ったので書いちゃいました(#^^#)
※ 今日(土曜日)から一泊ですがキャンプに行きます。
多少は雨に降られそうですね…来週はきっと雨キャン記事ですが久々かもしれません!
コメントなどの返信が遅れてしまうこと、ご容赦くださいm(__)m