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なるおばさんの旅日記

日頃のお出かけを含めた旅の日記

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ストリートビューの更新は大都会で1年、地方では2~3年みたいです

私はストリートビューを時々見たりします。

 

目的地の駐車場を見たり、高速の出口を見たり、時には「あのお店は今もやっているかな?」なんて見方もします。

 

https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/cdn.appli-world.jp/production/posts/eyecatches/000/000/062/eyecatch.jpg?1533457867

↑ https://appli-world.jp/posts/62より引用させていただきました

 

ここからはちょっと私の私的な話になってしまうので、記事のタイトルから外れてしまいますが、ご容赦ください。

 

9年ぐらい前のことですが、実家の父親がまだ生きていた頃の話です。

仕事でストリートビューを使用していた頃がありまして、休み時間に自分の横須賀の実家を見てみたのです。

実家は古いビルの4階にあるのですが、なんと父が外を覗いているのが写っていたのです。

手すりに手をかけ、外を眺めていたので、グーグルさんの車を眺めていた可能性もあります。

いつものパジャマにバスローブで、全く出不精の父の姿がそのままグーグルさんのストリートビューにアップされていたのです。

私が横須賀に子供たちを車に乗せて遊びに行っていた時も、いつも窓から手を振って待っていてくれました。

 

弟に連絡すると、弟たちも「知ってるよ!やばいよなぁ~」と笑っていました。

 

そして、その6年後、父はほぼ老衰のような形で亡くなりました

自宅で亡くなったので、昔から父がよく語っていた「理想的な死に方」をしたんだと思っています。

「父が危ない」と連絡を受けてすぐ、私は何故かグーグルのストリートビューを開いていました。

 

元気そうな父を見たいと思ったのです。

 

ところがページは更新されていて、父の姿はありませんでした。

会社で見たころから6年が経っていたんで当然と言えば当然です!

 

スクショでも何でも取っておけば良かった、とその時は思いました。

 

その後すぐに向かいましたが、父の死には間に合いませんでした。

 

ここでちょっと私の個人的な生い立ちに話が及んでしまうのですが、私は養女という立場です。

 

横須賀の父は生みの父で、生みの母はまだ健在です。

弟2人とは別々に育ったので、仲良しではありますが、きっと知らないことも多いのではと思う時もあります。

育ててくれたのは、横須賀の父の姉夫婦で、今私が住んでいるところ(東京23区内)で2歳から育てられました。

 

つまりおばさんに充たる人に育ててもらったことになります。

 

昭和の初期~中期のころは、こういう兄弟間や親戚間の養子縁組はとても多かったようです。

養父は私が3歳の時に死去、養母1人で育ててくれました。

父も養母もアメリカのロスとサンフランシスコの間にあるサリナスという街で産まれました。

日系2世ということになりますが、戦争時は砂漠地帯の捕虜収容所で生活しました。

終戦と共に船で日本に渡り、英語しか出来ないので米軍がいる「横須賀」や「横田」なら仕事があると思って「横須賀」と「横田」に分かれて住んだのだと聞いています。

父の一番上の姉は横田基地の側で美容師をしていました。

昔(2011年)、TBSで99年の愛 〜JAPANESE AMERICANS~」という中井貴一さんやイモトアヤコが主演をされていた5夜連続ドラマをやっていましたが、丁度そんな感じの生活だったと聞いています。

 

↓ そのときの番組HPはこちら

www.tbs.co.jp

 

そんなですから、家族が一同に集まると、親世代は英語で子供世代は日本語という凄い光景が繰り広げられていました。

私自身は英語は好きじゃなかったのですが、ヒヤリングと発音だけは多分今でもバッチリかと思います。

 

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↑ お正月の横須賀の風景。コロナ以降は行けていませんが…

 

横須賀の両親や弟たちとの関係はずっと良いものでしたので、今でも普通に交流があります。

 

時々グーグルを見ていると、どうしても横須賀の実家の住所を入れて見てしまう瞬間があります。

当然、どんどん更新されているので、父の姿がある訳はないのですが…。

兄弟の中で、私だけが父の「酒飲み」の血を受けついてしまったため、いつも私がいくと晩酌をしようと待ち構えていました。

「ビール持って来い!」が口癖でした。

 

息子や娘も「おじいちゃん」のことは大好きだったようです。

 

はっきり言って子供たちに対し、良い事はひとつも教えてくれなかった父です。(笑)

アメリカ式ポーカーを教え、お菓子を賭けたりして「それ教育上どう?」ということばかりを教えていた父でした。

 

アメリカでの生活の話を聞いていると、本当に私のルーツはそこにあったんだなと感じることが出来ました。

 

今はそういう話をしてくれる父の兄弟も全て亡くなってしまったので、私が戦争について子供たちに話していかなければならないのかなと感じています。

私が外国に興味を持つひとつの理由が、父や養母の生い立ちに関係があったのは間違いありません!

 

表題のグーグルのストリートビューの話から大きく反れてしまい申し訳ありませんm(__)m

ストリートビューで思い出すのはどうしても父のことだったので脱線しまくりました(^_-)-☆

結局ストリートビュー更新頻度のみタイトルで言っただけの記事になってしまいました…