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なるおばさんの旅日記

日頃のお出かけを含めた旅の日記

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「とおりゃんせ」の天神様ってどこの天神様?説が色々あるけど…

私が小さい頃はよく「とおりゃんせ」はまだまだ歌われていましたが、現在はどうなのでしょう…

 

「とうりゃんせ」という童謡がありますが、その一節に、

 

ここはどこの細道じゃ?天神様の細道じゃ

 

という部分がありますが、この天神様とはどこのことを指すのか…という疑問を持ったことはないでしょうか?

 

これには諸説ありますが、次の3つのどれかではないか?と言うことです。

 

  1. 川越市三芳野神社
  2. 小田原市国府津の菅原神社
  3. 小田原市南町の山角天神社

 

小田原市が二つあるのも面白いですが、全て「学問の神様」をお祀りしている神社ばかりです。

 

1.川越市三芳野神社

 

埼玉県の指定文化財になっている神社で、歌詞では、川越城の築城により神社が城内に位置することになってから、警備の厳しい城内を篤い信仰心で参詣する人々の様子を歌ったと言われているようです。

 

↑ 赤が素晴らしい!警備が厳しかったという雰囲気はありませんが…

そこで私がちょっと引っかかるのは、「行きはよいよい帰りは怖い」という部分です。

 

↑ こちらにもちゃんと「発祥の地」がありますね…

 

お城に入るなら行きの方が緊張しちゃって怖いけど、帰りはすんなり帰れそうです(笑)

 

↑ 細道…こういう感じは細道と言うのかな…

 

警備が厳しく、門を通るたびに行先を聞かれて、帰りは道に迷うほど入り組んでいる…という立地条件と当時の警備体制で誕生した歌詞ということなら確かに納得です!(´∀`)

2.小田原市国府津の菅原神社

 

祭神菅原道真公を祀っており、学問や文化、厄除けの神として学業成就や合格祈願に御利益がある神社と言われと言われています。

 

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↑ 【小田原 観光スポットレポ】菅原神社 - 「国府津の天神さん」と親し… | マイナビニュースより引用させていただきました

わらべ歌の雰囲気は凄くありますね…

 

文化財指定になっているクスノキがあり、かなりの老木で主幹の地上部から数mに及ぶ所まで空洞が目立ってしまっているそうです。

 

https://news.mynavi.jp/article/20241126-3072033/images/img20241126-26443-9jrhfr.jpeg/webp

↑ 【小田原 観光スポットレポ】菅原神社 - 「国府津の天神さん」と親し… | マイナビニュースより引用させていただきました

 

「とおりゃんせ」の歌碑もあり、関所が地理的にも近く、「入り鉄砲に出女」と言われる厳しい関所のことを怖いと言っていたという説もあるのです。

細道は、足柄峠の裏関への道を暗示しているのでは?とも言われています。

 

https://news.mynavi.jp/article/20241126-3072033/images/img20241126-26443-1ybogj9.jpeg/webp

↑ 【小田原 観光スポットレポ】菅原神社 - 「国府津の天神さん」と親し… | マイナビニュースより引用させていただきました

わらべうたとありますね…雰囲気的にもピッタリな感じ

 

3.小田原市南町の山角天神社

 

小田原城の南西に位置し、「いかり天神」の姿をした菅原道真の画像があることでも知られている神社です。

 

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↑ 【山角天神社 小田原】通りゃんせの歌の発祥の地。瓜生大将の銅像もより引用させていただきました

 

瓜生海軍大将之像側には一本細い石段があるのでそちらが、天神様の細道では?と見ることも出来そうです。

こちらにも「とおりゃんせ」の歌詞の石碑があるということなので、面白いですね!

 

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↑ 【山角天神社 小田原】通りゃんせの歌の発祥の地。瓜生大将の銅像もより引用させていただきました

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↑ 【山角天神社 小田原】通りゃんせの歌の発祥の地。瓜生大将の銅像もより引用させていただきました

昔ながらの遊具があるところも面白いですね!

 

どの説が一番有力なのかはわかりませんが、それぞれの神社に「とおりゃんせ」の歌詞や発祥の地という石碑があるところが面白いです。

 

このわらべ歌の歌詞にある、「この子の七つのお祝いにお札をおさめに参ります」という部分がありますが、平安時代には子供が7つまで生きていることが大変だったのですね!

食べ物も今ほどちゃんと食べれたとは言えず、病気の治療法も確立されていなかったので、幼くして命を落とす子供が多かったのです。

 

でも、こちらは怖くない方の説になります。

 

昔のわらべ歌はかなり怖い…と感じるものもあります。

この「とおりゃんせ」でも、お参りが夕方帰ってくることの怖さをうたっているのですが、その理由としての一説がとっても怖い…。

子供は口減らし、つまりは生贄として神社に連れられてきたという一説もあるからです。

「姥捨て山」の子供版ですね…。

 

最近お寺に行くことも多かったので、友人と「とおりゃんせ」の話になりまして、どこの神社?という話になったので調べてみました。

 

これを先に知っていれば、ちょっと川越にも寄ってみても良かったなぁ…って思います。

これからも昔のわらべ歌や古い歌などで気になったものがあったら調べてみようと思います(^^)/