マリーアントワネットがフランス革命で追われ、幽閉されていたチェイルリー宮殿に行ってからも手紙のやり取りは続いていました。
それらの手紙の中に黒く塗りつぶされた判読不明の箇所が今回、新技術を駆使することで一部ですが判明したのです。
政治的な内容がほとんどだった手紙の中に、ちゃんと「愛の言葉」があったというのです。
ちゃんと自分の気持ちを伝えていたんだ?と思いきや、会えなくなった状況への不安や恐れ、希望などの言葉が書いてあったといいます。
それほどストレートな愛の言葉というよりは、「会えなくなった」ことへの寂しさや不安を書いていたんですね。
インクは全く同じインクで消されていた場合は判読が難しく、今回使用した蛍光X線分光技術をもってしても、15通のうちの7つは同じインクが使われていたことで判読できなかったと言います。
↑ https://news.livedoor.com/article/image_detail/18365810/?img_id=25339916より引用させていただきました。(マリーアントワネットの胸像)
このことにより、黒塗りにしたのはフェルセン伯爵自身だったと考えられています。
そもそもルイ16世の妻だったマリーアントワネットにとって、フェルセン伯爵は不倫相手ということになります。
フェルセンはスウェーデン国王グスタフ三世の寵臣でした。
ルイ16世は忠心的にフランス王家にも仕えていたフェルセンに対し、その関係を知りながらもどちらに対しても何も言わなかったと言います。
フランス革命勃発後に、一度は王妃の母国であるオーストリアへの亡命を試みましたが失敗に終わります。
↑ マリーアントワネット王妃
その後宮殿に変装して忍び込んだフェルセンは新たな亡命計画を提案するものの、ルイ16世はパリに留まることを決意していたため断られました。
最終的にはベルギーのブリュッセルに亡命したフェルセンでしたが、王妃の救出にはことごとく失敗し、アントワネットが処刑された後は政治的にも失脚し、1人暗い人生を送ったといいます。
彼の心の中には王妃を死に追いやったフランスの民衆への憎しみが消えることはなかったようです。
どんな縁談も断りつづけ、王妃のみに愛をささげた伯爵の人生の最後は群衆によって撲殺されたというのも悲しい結末です。
ベルサイユのばらにもフェルセンは出てきますが、モデルはもちろんこのフェルセン伯爵だったと思われます。
実際のフェルセン伯爵も長身で容姿端麗だったということです。
マリーアントワネット自身もそれほど恋多き女性ではなかったという見方もあるようです。
献身的なナイトのようなフェルセンを信頼し、心から頼っていたという見解が一番真実に近いような気もしますね。
5月にフランスで競売にかけられたマリーアントワネットの旅行カバンが500万円で落札されたようです。
↑ 落札されたカバンとその刻印です
これでも予想された約5倍の値段がついたというのですから、マリーアントワネットの人気は今なお継続中ですね!
どんなに興味があったところで、家にこのカバンがあったとしたら何だかあの時代の色々な想いが入り込んでいるようであまり気持ちはよくないかも…( *´艸`)
かばんは革製で、「王妃の部屋10番」という刻印が打たれていました。
このオークションではルイ16世の頭髪の束も約47万円で落札されています。
浪費家のように言われているマリーアントワネットですが、全てが真実なのではなくて、色々な陰謀や思い込みもあったのだろうと推測します。
ハプスブルグ家の優雅な生活から若くして嫁いだ彼女の心には、孤独や寂しさがあったことは容易に想像できます。
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない?」
アントワネットの有名な言葉とされていますが、贅沢嗜好から出た言葉ではなく子供っぽさから出てきた言葉だとしたら、娘と同レベルですねぇ~(笑)
あの時代のヨーロッパの王家はどこの国でも悲しい結末が多かったですね。
プライベートな手紙までも後世で暴かれることになるとは、双方が思いもしていなかったのではないでしょうか?
なんだかちょっと可哀そうに想えてくるのは私だけでしょうか…