1896年当時、ベトナムはフランスの植民地でした。
当時、ベトナム南部を占領していたフランス植民地政府によって建設されたのがこの「ホアロー収容所」です。
↑ チケット売り場は左です
「地獄の中の地獄」と呼ばれていたそうです。
↑ 模型もありました
当時のフランス人の拷問の酷さを知ることになりますが、あまりにも惨いその光景はちょっと覚悟が必要だったかもしれません。
↑ この体勢で座っているのも辛いと思います…
解放運動をするようなベトナム人や、抵抗をしたベトナム人を収容した場所ですが、人間に足かせや手かせをして、独房や集団房に閉じ込められた人々の様子を人形が再現しています。
↑ ここには男性しかいませんでした
その表情から当時の会話が聞こえてくるようです。
「絶望」…そんな言葉が聞こえてくるようでした。
↑ どんな言葉が「支え」になるのだろうか…
この収容所の「忌まわしき連鎖」はそこで終わりませんでした。
↑ 明り取りのある窓が高い位置に…
その後ベトナムがアメリカとの戦争に巻き込まれた際は、北ベトナム軍がアメリカ兵士を収容する場所としても使用されたのです。
↑ 女性や子供が収容されていた部屋だと思います。少しだけ明るく足かせがありません!
↑ 収容されていた方が着ていた服です
アメリカの「ハノイ・ヒルトン」という映画にその一旦が描かれています。
日本では劇場公開されることはなかった映画です!
ハノイにヒルトンホテルがあったという訳もなく、これはその居心地の悪さを皮肉った言葉です。
アメリカ兵が身に纏っていた収容着なども展示されていました。
↑ 独房を覗く窓部分です
そして一番恐ろしかったのは、フランスがベトナム人の拷問の末に使用した「ギロチン」でした。
マリーアントワネットがあのフランス革命の際に37歳の若さで「ギロチン」にかけられてその生涯を閉じたのと同じような型のギロチンです。
その前には箱のようなものもあり、本当にヒンヤリとした空気の中で息が出来ないような圧迫感を感じました。
友人は、「この部屋は早く出よう…」と言ったので我に返り、すぐに出ましたが、本当に怖かったし悲しかったです。
ここは写真撮影がOKでしたが、やっぱりあまり気が進みません。
旅のブログをやっていなければ、全然撮らなかったかもしれませんが、現実から目を背けることは出来ないとも思いました。
どうして人は同じような過ちを繰り返すのでしょう…。
どうしてここまで残虐になれるのでしょう。
ホアロー収容所から外に出て椅子に腰掛けて、水を飲みました。(若干息苦しさを感じたのです)
↑ なんか息苦しかったね!喉が渇いたね!
- Y:「なるがいなかったら、一生来なかったと思う…」
- N:「付き合ってくれてありがとうね!」
- Y:「いや見といて良かったとも思うんだ…。縁があって主人が長期に渡って住んだ国だからね…」
- N:「うん、私も見てよかったと思う…」
↑ 目の前にあった木です! なんていう木なのでしょうか…
ここは、入場料は30.000ドンですから日本円では約180円です。
60歳以上だと半額になることを忘れて支払っちゃいました(^^;)
これから先も色々な国で、このような施設を見て歩くこともありそうです。
この時感じた息苦しさは、小さい頃「広島の原爆ドーム」で感じたような息苦しさだったと思います。
日本が誤った方向へ進もうとすることがあったら、声を大にして言える人は「このような場所やものを見てきた人」だと思うのです。
↑ 出口に向かいあるくと左側には戦争の歴史が綴られています
避けて通ることもひとつかもしれませんが、私は決して目を背けません!
これまでも、そしてこれからもです。
↑ 割と自由に観て周れるので、行きたくない所は避けて周れると思います
どんな真実があったかを知ることも旅の醍醐味の1つだと思っています。
今の国交が樹立されたことに感謝し、美味しいベトナム料理を食べれることに感謝し、優しい人々との交流に感謝しています。
1973年9月21日、日本とベトナムは外交関係を樹立しました。
それから今年はちょうど50周年なのです。
そんな記念すべき年にハノイを訪れることになったことにも感謝した一日でしたm(__)m
↑ こちらはホアロー収容所のすぐ裏手にある最高裁判所です!
植民地という歴史も、戦争という歴史も、決して繰り返してはいけない‥。
↑ 若い方達にも知ってほしい歴史がそこにはありました
強く強く思いました!
明日は、もう一カ所立ち寄らせてもらった場所と夕飯について書きたいと思います。