見つかったのは3年前の5月でした。
北海道大樹町の当緑川の河口付近で河川パトロール中に発見されました。
コンクリート製の「トーチカ」と呼ばれる旧日本軍の小型防御用陣地です。
「トーチカ」とはロシア語ですが、日本語訳にすると「特火点(とっかてん)」と言うそうですが益々わかりにくいですね!
英語訳にすると、ピルボックス(pillbox)これじゃ、薬の容器じゃないですか!!
全然わからない!(笑)
このトーチカが造られたのは太平洋戦争末期で、米軍の上陸に備えて道内に多く造られたものの1つだそうです。
歴史意匠専門委員の小野寺一彦さんのお話によると、「この町では今もどこかに戦跡が眠っている」と言うことです。
↑ 北海道の旭浜に残る、トーチカ群は今も静かに…
これからも何年も後になって、新たな戦跡が発見されることも充分考えられるのですね。
戦後75年も経っているので、海岸の浸食も進んで本来は土の中に築かれていたものが崖から飛び出すように露出してしまっているんだそうです。
本来の姿にしては、確かにこれでは目立ち過ぎてすぐに発見されてしまいますよね!
ドローンで海岸線から近づくと、コンクリートの陣地の周りには木の枠が残っており、四角い銃眼が開いているのもわかるそうです。
ドローンの発達でそんなことまで分かるようになったことが、「さすが令和だな!」と思わせてくれます。
本来、トーチカには機関銃や歩兵砲などの火器類を収めており、戦争においては最前線の軍事施設という位置づけです。
北海道の厚真町というところでは、数多くのトーチカが発見されています。
トーチカの他にも戦車壕も構築されていて、敗戦間際の日本軍が最後の最後まで日本を守ろうと必死に戦ってきたことがわかりますね。
これらの町の他にも、北海道には沢山の戦跡が残されています。
http://www.hk-curators.jp/archives/1589 から引用させていただきました
確かに北海道は太平洋に近く、太平洋戦争の時にはアメリカ軍が「北海道侵攻作戦」を練っていたと想定することも理解できます。
結局は、
- 8月6日の広島への原爆投下
- 8月9日の長崎への原爆投下
- 8月9日のソ連対日参戦
これらが引き金となり「敗戦」しか選択肢が無くなったので、戦争は終わりました。
私たちの祖先も色々な形で戦争に振り回されて生きてきたのだと思います。
どんなパンデミックより、どんな天災より、「戦争という人災」がどれほどまでに恐ろしいことなのかを伝えてきた人々も年齢的に90代を超えてきています。
私たちが出来ることは「戦争の恐ろしさを伝えていく」ことなんだと思います。
時にそれらは、
- 映画を通して
- 歌を通して
- 演劇を通して
- 講演を通して
などだったりしますが、学校教育の中でも、このことだけはしっかりと教え続けてほしいと思っています。
↑ パラオで発見された日本軍の戦車
もうすぐ終戦記念日ですね。
戦争は「どちらかの国が悪い」ということではありません。
「戦争を引き起こした人々」全てが悪いと思うのです。
世界中の全ての人がそれを自覚しない限り、戦争は繰り返されます。
悲しいことに、今でもどこかの国で戦争が起こっています…(>_<)