私の日系2世の父(生みの親)と養母(実父の姉)は兄弟が5人で、一番下の弟が一昨年94歳で他界しました。
その叔父が一番歌好きで、私はよく叔父の歌を聴かされていました。
兄弟で一番歌が上手だったようです( *´艸`)
小さいときに横須賀にいた時、養女となって東京に来てからも遊びに行った時には子守歌のように聴かせてくれた歌があります。
現代の日本ではほとんど耳にすることがないのに、「聴いたことあるよ!」という方も多い歌なのかもしれません。
その3曲とは、
- Danny Boy(ダニーボーイ)
- My Bonnie Lies over the Ocean(マイ・ボニー)
- Oh My Darling Clementine(いとしのクレメンタイン)
です。
どの歌も民謡としての位置づけだったようですが、これがとっても眠くなるんです。
1.Danny Boyについて
元々はアイルランドの民謡で、「ロンドンデリーの歌」という原題がついています。
歌詞を作ったのはイギリスの弁護士、フレデリック・ウェザリーで、1913年にその詞を「ロンドンデリーの歌」のメロディーに合うように修正して発表しました。
戦地に赴く息子を想い、母は亡くなってもあなたを愛しているという寂しい歌ですが、男性の歌い手も多く、不思議と優しさを感じるので眠くなるのです(笑)
2.My Bonnie Lies over the Oceanについて
こちらもスコットランドの民謡が原曲ですが、作詞者はハッキリとはしていません。
1870年代に楽譜店で、偽名をつかった男性がこの歌を発表したことで人気が広がったようです。
様々な合唱団によって歌われ、1964年にはビートルズ盤も洋楽チャートに上がっています。
ノリノリな感じに途中で変わるビートルズのVerはちょっと面白いです(#^^#)
ボニーとはスコットランドにおける歴史上の著名な人物であるチャールズ・スチュワートという人のことだと言われています。
海の向こうへ行ってしまったボニーを返して欲しいというような歌詞で、今となっては東日本大震災をも感じさせる悲しい歌にも思えてきます。
意味など考えることなく、あの頃は心地よい夢の中へ誘われておりました。
3.Oh My Darling Clementineについて
これはアメリカ西部の開拓時代の民謡です。
日本では「雪山賛歌」として歌われてきたようですが、私は洋楽として聴いていました。
歌詞の意味は全く違っています。
ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」という映画の主題歌になったことで、またたく間にヒットし、世界的にも知られるようになっていきました。
1848年からの7年間はアメリカ西部はゴールドラッシュでした。
1849年が正に絶頂期でそのころの採掘者のことを「49er」と呼んでおり歌詞にも出てきます。
その頃金鉱で採掘に励んでいた娘さんが水難で亡くなり、そのことを悲しんだ恋人が悲しみの中で愛しさを歌ったもののようです。
父親が娘を失ってその寂しさを歌ったという説もあるようです。
これまた、結構悲しい歌なんですね!
これもまた、海の波を感じさせるような感じで眠くなるのです。
どの歌も悲しい歌だと叔父も話していたことを思い出します。
↑ 心に残る「子守歌」ってありますか?
日本でも地方によって、「子守歌」は全然違っているのだと思います。
私は特殊な環境だったかもしれませんが、これらの歌を今でも聴くと眠くなります(笑)
叔父のお葬式の時、叔父の声で当時カセットテープに録っていたものを弟がCDに落とし込み、バックで流していました。
その声に懐かしさと、亡くなったことの寂しさがこみ上げてきましたが、反面眠くなるので本当に困ってしまいました。
横須賀に行けばまた、叔父の声でこれらの歌を聴くことができますが、やっぱり寂しくなりますね。
お風呂に入りながら時々自分が口ずさんでいるのにも驚きます!(笑)
父と養母の兄弟は全員亡くなってしまいましたが、小さい頃から耳にした歌や英語の口癖などは今でも思い出して懐かしくなります。
そしてこれらの歌を今聴いても、親たちの故郷であるアメリカに行きたくなってしまいます(#^^#)