リトアニアが完全に独立できたのは1990年のことになります。
過去に一度、第一次世界大戦後にロシアから独立したものの、そのあとは1940年にソビエト連邦から、翌年にはナチス・ドイツからも侵略を受けています。
その後、再びソ連から侵略されて構成共和国となったのですが、1990年にようやく独立が叶いました。
正式名称は「リトアニア共和国」です。
そんな侵略に悩まされたリトアニアですが、ソ連との戦いでは3万人の兵士が亡くなり、第二次世界大戦では78万人の住民が殺されています。
↑ 首都ヴィリニュスなどはとっても都会です!
リトアニアはバルト三国の1つで、その中では一番面積が大きな国です。
これらの歴史を物語るようなドキッとする場所がリトアニアには存在しています
それが「十字架の丘」です。
ここは世界の無形文化遺産にも登録されています。
私たち日本人はそれほど十字架に馴染みがないので、そのおびただしい量から怖いと感じる人が多いと思います。
↑ 凄い数の十字架ですね…
クリスチャンである私でも「ドキッ」とするし、この数が集まると「ゾワッ」としちゃいますね…( *´艸`)
リトアニアの首都は「ヴィリニュス」ですが、この丘はヴィリニュスから電車で2時間のところにあります。
シャウレイという小さな街の郊外にあります。
丘へ行くにはシャウレイからヨニシュキス行きのバスに乗り、ドマンタイで下車します。
行く方法はバスかタクシー、レンタカーしかありません。
ですが「十字架の丘」がある地域はあまり治安が良くないのでバスの時間だけは乗り遅れないように注意が必要です。
帰りのバスについてですが、バス停に時間が書いてあるけれど1時間に1本ぐらいしかないうえに、最終のバスは来たり来なかったりらしいので2本前位には乗ってしまいたいですね。
この十字架の丘の周りには本当に何もありません。
↑ 夜は絶対にいられない場所でもあります(治安の問題で…)
商業施設などは全くなくて、畑が広がっている光景を観ることができますが、そんな所に取り残されるほど不安なことはないですよね…(´;ω;`)
この地に十字架が置かれるようになったのは、1831年のロシアに対する蜂起が発端です。
どんなにロシアが撤去したり取り壊しをしてもその十字架が無くなることは無かったといいます。
みんなが次から次へと置きにくるということなんですね。
その数は、5万とも10万とも言われています。
↑ こんな大きな十字架を誰がどうやって運んできたのでしょう…
大きさもロザリオから大きいものは数メートルのオブジェの様なものなど大小さまざまです。
丘に続く平坦な地にも建てられていき、その数は日に日に増えているのです。
ヨーロッパの各地、そして海外からもこの地を訪れて「世界の平和」を祈る意味で置いていくので増え続けてしまいますね…(*´▽`*)
犠牲者への悲しみを示すだけでなく、二度と同じ悲しみを起こさない為の平和への願いが込められています。
平和や愛を祈ってその象徴として、そのままの状態を維持している場所でもあります。
リトアニアの地元の方は結婚式の後に、永遠の愛を誓うためにここを訪れ、2人で十字架を捧げるカップルも多いのだそうです。
↑ https://www.veltra.com/jp/europe/lithuania/a/13726より引用させていただきました
もちろんリトアニアに行ったら他にも美しい街並みや教会、大自然など観たいところは沢山あります。
聖アンナ教会、トラカイ城、夜明けの門、ハレス市場などの見どころも沢山あるので観光地としても興味深い国です。
↑ 湖のほとりに建つトラカイ城も美しい…
第二次世界大戦中に、杉原千畝がリトアニアにいるユダヤ人に対し、独断で日本を通過できるビザを発行し続け、多くの人々を救い英雄とされた史実は映画にもなっています。
「杉原千畝 スギハラチウネ」という映画で主演は唐沢寿明さんです。
亡命を手助けすることが、どれほどあの当時では勇気が必要だったかを考えると、彼の行動は心に響きます。
とても考えさせられる映画なので、機会があったら是非観ていただきたいと思います。
なかなか日本から訪れる人も多くないバルト三国ですが、東ヨーロッパにも興味深い国が多く存在します。
誰もが行くヨーロッパはちょっと…という方は是非訪れてみてください(^^)/