ピアノ・オルガンと言えば「浜松」というイメージがあります。
私は4歳〜10歳ぐらいまでピアノを習っていました。
昭和の当時、女子の習い事と言えば
- ピアノ
- バレエ
- そろばん
のどれかだったように感じます。
今の様にダンスだったり、ロボット作ったり、絵画だったりが充実していたらピアノは習いたくない!!と反論したかもしれません(笑)
浜松が楽器の街と言われるようになったのには次のような経緯があるようです。
- 徳川家康が浜松城を築いた時代から技術発展をしてきた上に、綿花職人が多くいて織機をつくる細工職人が大勢いた
- 南アルプスから天竜川で運ばれた木材と、山を越える乾いた空っ風による乾燥という地形的なもの
- アメリカ製のオルガンが浜松にもやってきたが、2ヶ月で壊れたことをきっかけに医療機器の修理工だった山葉寅楠が修理をし、一からピアノ作りを始めたこと
こういう流れで色々な偶然がピアノづくりの条件を満たしていったのですね!
↑ ピアノにも色々ありますが、木目がわかるピアノは憧れます!
始めて日本が「オルガン」の製作に成功したのが1887年(明治20年)のことでした。
山葉寅楠は依頼されたオルガン修理の際、分解修理をしながらすべての部品を図面に書いていました
その図面をもとに1887(明治20)年、日本初のオルガン製造に成功したのがこの山葉寅楠さんだったのです。
山葉さんだったから「YAMAHA」!なるほど納得です(笑)
そして今や、有名な3大楽器店が「浜松」にはあるんですね!
輸出に関しても「YAMAHA」は世界のブランドにもなっていて、様々な国際コンクールでも使用されています。
製造工程で木工や鉄工、鋳物や漆塗りなど、様々な技術が求められるため、管楽器などにもその技術は生かされ、楽器全般に強い「浜松」となっていったのですね!!
第二次世界大戦中は飛行機のプロペラ製造にも携わっていました。
↑ https://global.yamaha-motor.com/jp/design_technology/technology/yamamomo/001/より引用させていただきました
↑ https://jp.yamaha.com/products/musical_instruments/pianos/grand_pianos/cx_series/index.htmlより引用させていただきました
100万は超えてしまう「グランドピアノ」…。我が家に置いたらリビングがなくなります(笑)
彼の弟子として楽器作りに参加していたのが、「河合楽器製作所」の創業者となる河合小市さんで、なんと11歳の頃から山葉さんの元で修行したというのですから早い!
これが「KAWAI」の原点になっていることから、やっぱり楽器の街というのも理解できます。
上記3社の他にも、
- 鈴木楽器製作所
- ローランド
なども浜松にあります。
鈴木楽器製作所は、河合を退社した鈴木萬司さんが創設しました。
河合楽器で「ハーモニカ」の製造を15歳から学び、自分で会社を立ち上げるまでになりました。
↑ 小学校の頃はいつも手にしていたハーモニカですが…
小学校でハーモニカが採用されることで、もの凄く業績がアップしていったので目の付け所に間違いはなかったのでしょう。
ローランドは元々大阪の会社でした。
創始者は梯 郁太郎さんで、終戦後に移住した宮崎で「かけはし腕時計店」を開業したのです。
なんとこのときはまだ16歳でした。
独学で学んだ時計とラジオの修理の技術を生かして、大学進学とともに大阪で「カケハシ無線」を開業します。
そして電子回路を用いたオルガンの製作へと進んでいきます。
↑ 電子とオルガン…凄い技術だなぁとしみじみ…
そして1972年に「ローランド」を設立することになります。
大阪から浜松に工場を移したことによって、本社の移転も行われました。
ブランドとして有名なのがギターやベースのエフェクターメーカーである「BOSS」です。
前身は1973年大阪で設立されたメグ電子株式会社です。
長年ローランドのグループ会社(子会社)として、エフェクターの製造を担ってきました。
こうしてみるとある気付きがありました。
- 条件が揃うと凄い力を生みすものである
- 若くから製造に携わって会社を作っている
- 楽器は楽器としてひとつのところに集まる
- 日本の技術はやっぱり最高!
ということでした。
浜松へ行くなら名所や遊び場が沢山あるので、そこは今度記事にしたいと思います。
↑ 浜松城は外せませんね!!
実は自動車のスズキも浜松なんですね!
バイクなどで有名な「ヤマハ発動機」もこの「YAMAHA」と無縁ではありません。
職人がいるところに産業は根付く!
ということかもしれません(#^^#)