原作を書いたのはあのビートたけしさんで、是非観てみたいと思っていました。
監督はタカハタ秀太さんです。
先週の週一休みの眼科の後に、新宿でランチをしてからTOHOへ観にいきました。
結論、とっても良かったです。
涙なしには観られない作品ですね…。
主人公水島悟(二宮和也)は建築業界に務める、手づくり模型に拘るデザイナーでした。
いつも友人と待ち合わせる「喫茶店piano」も彼のデザインでした。
そこで偶然に出会ったのが美春みゆき(波瑠)という美しい女性でした。
自分のデザインした喫茶店の拘りの細部を褒めてくれたみゆきに悟はトキメキます。
そして悟はみゆきが持っていたお母さんの形見という彼女のバッグを褒めるのです。
誰も気づかないであろう小さな部分、拘りのある部分を褒められると、人はその人へ共感の気持ちを抱くものです…。
普通は惹かれ合った二人だったら「連絡先の交換」をしますよね!!
ところが、みゆきは携帯電話を持たない女性でした。
「来週何もなければ、木曜日にpianoに同じ時間にいます」
なのに大阪出張だった悟は仕事のハプニングでpianoへは行けませんでした。
会えないこともあったけど、「木曜日」は二人にとって特別な曜日になって行きます。
↑ https://eiga.com/movie/98968/gallery/より引用させていただきました
ここでとっても素敵な男性二人が悟とみゆきの未来に大きな影響を及ぼしていくのです。
悟の親友である高木淳一(桐谷健太)と山下良雄(浜野謙太)です。
この3人の友情がとても温かくて、これを観てたら男子になりたくなりました(笑)
↑ https://www.saga-s.co.jp/articles/gallery/1124434?ph=1より引用させていただきました
悟はみゆきにプロポーズしたいと考え始め、指輪まで用意します。
渡したいと思った日に、みゆきはどうしても早く帰らなくてはならないと話し、来週にプロポーズを持ち越します。
みゆきも悟に話すことがありました。
謙太が言います。
「お前は彼女の何を知ってるんだ?」
毎週木曜日に喫茶店で会って、色々とデートを重ねてきたけれど…
悟は「今すぐ会いたい」とか「明日急遽会えない?」なんて連絡は出来ません。
↑ https://eiga.com/movie/98968/gallery/5/より引用させていただきました
翌週の木曜日にpianoで待つ悟でしたが、その日からずっと彼女には会えなくなってしまいます。
いくら待っても彼女が来ることはありませんでした。
悟はなんで彼女が来てくれないのかわからないまま、何度も木曜日は過ぎていきます。
そんな時、会社から言い渡された転勤先は「大阪」でした。
迷いはするものの、「もう会えないのではないのか…」そんな気持ちも過ぎり、悟は大阪に行きます。
何年か経って知ることになる真実は本当に残酷なものでした。
これ以上ネタバレするのは控えようと思います。
↑ https://hitocinema.mainichi.jp/article/analog-takeshi-ninomiya-haruより引用させていただきました
私が若い頃も確かに携帯はありませんでした。
「シモシモ?」なんてギャグは流行ったのでご存知かと思いますが、あの肩からかける携帯が出たのも結婚したぐらいの時でしたから今の便利さは本当に夢のような話です。
それを「アナログ」というのなら、確かにアナログな時代でしたね…。
その頃の良さもあったのかもしれませんが、今ではこの便利さは手放せません(笑)
「人を愛するってこういうことなのかも…」そんな風に思えるほど悟の愛は真っ直ぐで深いものでした。
映画の前にランチをしたのですが、歌舞伎町にも「山下本気うどん」が出来たんですね!
ゴジラのビルのほぼ目の前で、映画前に寄るにはちょうど良い場所に出来ました。
↑ 小さいけど、綺麗で小ざっぱりとしたお店です
↑ 窓際のカウンター席で食べました!
私は「野菜天うどん」(890円・税込)をオーダーしました。
↑ サラッとうどんを食べたい…という時には最適なお店です
↑ 自分で摺っていただくゴマもいいですね( *´艸`)
ランチだと時々うどんやお蕎麦を食べたくなるので、ちょうど良い感じでした。
「山下本気うどん」はチェーン展開していますので特に詳細は省きますが、割と新しい店舗なので電話と住所だけ…。
- TEL:03-5291-3002
- 住所:東京都新宿区歌舞伎町1-21-12 カドービル 2F~4F
24時間オープンというところは流石歌舞伎町ですね!!
↑ お店は「カルボナーラうどん」を推してますね…
ここのところ日本映画が続いています。
字幕を観ないで済むので楽なんですよね…(笑)
今更アナログな世界に戻りたいとは少しも思いませんが、電話をすると家族が出るかもしれないという緊張感はあの時代ならではのものでしたね…。
うまく会えない時の苦労も相当なものだった記憶があります。
その分「希薄な関係」はなかなか続かなかったという部分もあり、自分にとって何が大切なのかがハッキリと意識できた時代だったのかもしれません…( *´艸`)