私が子供の頃、横須賀の親に弟たちと連れていってもらった「原爆資料館」は本当に怖かったという印象がありました。
等身大の蝋人形があってそれを今でも忘れられません。
それが今は無くなっていたことに、まずはちょっとホッとしちゃったんです。

↑ 今の入り口はこんな感じになっています
原爆が落とされたのは1945年で、私がそれを観たのが1970年だったので25年しか経っていなかったということになりますね…。
そして今回は2025年に行ったので80年も経ったということになります。

↑ 胸が苦しくなるような感覚があります
全ての衣類や時計、焼け焦げたお弁当箱や曲がってしまったビンなども、おそらくそのまま残っているものなのですが、ずいぶん日が経ったものであることがわかります。
小さいときにみたそれらの小物とは全く違う色合いに感じました。

↑ 廊下から平和公園が見下ろせるようになっています

↑ 平和の塔が見えますね…
資料館の中は写真もフラッシュをたかなければOKとなっているようでしたが、誰も撮っていないし、ちょっと撮りにくい雰囲気だったので、ほぼ撮らずに出てきました。

↑ 唯一の写真がこれ…ほぼ前の方へは行けませんでした
お客様もとっても多く、歩いて前に行って観るのも難しい感じでした。
ここでも外国人が大勢いました。

↑ 「祈りの泉」と呼ばれる噴水です…親子がこうしている図が幸せで…

↑ 「動員学徒慰霊塔」で、被爆当日も建物疎開作業を行った国民学校高等科以上の生徒の8,400人のうち約6,300人が犠牲となっています

↑ 「嵐の中の母子像」といいます。平和への願いが込められています
昔、横須賀の父と母が話していたことを思い出しながら、観て周りました。
- 「日本に原爆が落とされたことを俺は捕虜収容所で聞いたんだ。」
- 「岩国には黒い雨が降ったんだよ…」
この二人の間に私は生まれました。
父はカリフォルニアに住んでいた日系移民の子供で「軍隊には絶対に志願しない!」ということで家族が全員一緒にアリゾナの砂漠の収容所に入っていたそうです。
農場も家もそのままに、収容所に行くしかなかったのです。
↑ アメリカにおける日系人の強制収容より引用させていただきました
養母(父の姉)はサソリに刺された怖かった思い出を話してくれました。
母とは戦後に日本で見合いをして結婚したらしいですが、岩国にいた母は被爆の有無が微妙で結婚が難しかったと言います。

↑ 元安川にかかる「もとやすはし」

↑ 橋の上を飛ぶ鳥にも「幸せ」を感じてしまう…

↑ 夕方の原爆ドーム…寂しさを感じてしまいます…
そうなると、私は原爆と全く無関係とは言えないのかもしれません。
私たちは歩いて原爆ドームの方まで歩いていきました。
様々な角度からドームを観ました。

↑ そのままの状態で補強をしていくって難しそうですね…

↑ 夕方になり灯りがつきました…
月日が経ち、原爆のことは広島や長崎の資料館などで見ることでしか今は知ることができません。
語り部という「原爆のことを話してくれる人」はまだ少ないけどいらっしゃるようです。
でも平均年齢が87歳にもなってしまっているので、今では形が変わってしまったようですね。
経験者の家族が伝承者として伝えているという部分が増えているそうです。

↑ 一瞬にして20万人が命を落としたのです…
この機会にA君とB君には、私の母や父の話を少ししたりしました。
岩国には海軍航空隊があったため、原爆から一週間後に激しい空爆があり、岩国市内では500人以上の方が亡くなったそうです。
「広島の親戚や友人には決して会いに行ってはいけない…」
それは残留している放射線を浴びる二次被害を受けるからだそうです。

↑ いつまでもここに建ち、平和を語り続けてほしいです
母が生きていてくれたから私が生まれた…。
逆を言えば、戦争がなければもっと多くの命が生まれてきていた…ということになります。
3人でそんな話をしながら原爆ドームを観てきました。
二人は凄く色々なことを感じたようでした。
- 「今となっては絶対に核を使えないよね…」
- 「使ったら終わる…」
- 「使った国は間違いなく、核を落とされ一発で終わるもんね…」
- 「めっちゃ世界中の広い範囲が終わってしまうね…」
原爆ドームは静かに語ってくれています。

↑ どの国の建物もこんなになってはいけない…
多くの国が核を持って防衛している今、どこかの国がそれを攻撃に使ったら…
お二人が言う通り、世界は全滅へと向かうということなんだと思います。
今の核爆弾はこんなもんじゃないから…本当に終わります…

↑ ここは「広島県産業奨励館」という建物だったのですね…
爆心地はドームから160メートルのところでした。
この悲しい現実は多くの外国人にも見に来てほしいし、知ってほしいと思いました。
この後は荷物を取りに行ってからタクシーで一気にホテルに向かいました。
ホテルで休憩する間もなく、実は夕飯に向かったのですが、そのことについては明日の記事で書きたいと思います。
