最近は「ボクたちはみんな大人になれなかった」を観て、春には「花束みたいな恋をした」などを観て、その両方に共通している「業界人」に着目してしまいました。
バブル時代は私も「業界人」のはしくれだったのかもしれません。
PRと言っても主に「雑誌」「TV」「新聞」などで記事にしてもらえるようなイベントを仕掛けることが仕事の醍醐味でした。
一部のもてはやされた業界人は、その下請けの下請けのような小さな会社のデザイナーやコピーライター、カメラマンなどに支えられていました。
当時はTVの時代だったし、広告の時代でした。
大手の業界人は派手なお店で、女性を侍らせてブイブイ言わせていた時代もありました。
カッコイイ台詞で酔わせ、自分はカッコイイと勘違いしている業界人(男性)も多く、あの頃からなんとなく冷めた目でみている自分は周りからみたら時代についていけていないダサい女性だったのかもしれません。
↑ 当時は外車とサングラス、加えて襟を立てたりしていました(笑)
そして時代はどんどん変わっていきました。
雑誌は「付録」で売る時代になり、広告はYoutubeやインスタ・TikTokで見るものになりました。
多くの雑誌が廃刊に追い込まれ、TVの視聴率はダダ下がりで、イベントもネットで配信するため特に取材も必要なくなりました。
「業界人」と名乗れば、今や怪しまれるような存在ですね!
「デビューしたくない?」そんな風に誘われたら怪しい人と思え!という点は昔から変わりませんが、芸能界に憧れる人がいる限りこういう怖い人は続々と現れるのだと思います。
もう1つ気になっている言葉が「サブカルチャー」です。
これも昔からその時代なりに、若者が持っている「感傷的な心」を何かに委ねるために育ててきた文化だと思っています。
大多数が読んだり聴いていた訳ではなくて、一定数の若者が読んだり聴いていたそういう本や曲が一定数の若者の「感傷的な心」を「それでいいんだよ!」と守ってきたようにも感じます。
大多数が読んでいたら、それはもう単なる流行ですからね…。
その他にも音楽や美術、食文化も時代ごとに彼らに影響を与えてきましたね。
日本にこういう映画の作風が多いのには、日本の歴史や社会背景も関係あると思っています。
何故なら、同じアジアでも韓国の映画やドラマは大きく違うと思うのです。
「ボクたちはみんな大人になれなかった」は時間が遡っていくのですが、韓国のイ・チャンドン監督の作品で「ペパーミントキャンディー」という作品も時間が遡っていきます。
だけど全く違うところがあります。
ボクたちはの方は感情を小さく揺さぶる部分が大半を占めて、ストーリーがふわっと進んでいきますが、ペパーミントの方は全く違います。
貧富の差だったり、男尊女卑だったり、兵役だったりという重い現実をしっかりと描くがゆえに感傷的になる暇はありません。
遊園地を一周する園内列車とジェットコースターぐらいの違いがあります。
中国映画やベトナム映画もまた、どこかリアルに突き刺さる部分が多いと思います。
一部の人しか余裕を持てていないアジアの他の国に比べ、日本はどこか余裕があるのかもしれません。
もしかしたら、日本人は、
- 何かをハッキリとさせるのが嫌いなのか
- 自分たちの文化をこっそり育てるのが得意なのか
その辺はわかりませんが、この差は大きく、互いに互いの国の監督を尊敬していたとしても違う形の映画が出来上がってしまう結果になっているのだろうと思います。
↑ 日本の文化は誰が作っているのだろう…
この頃の日本の傾向としては、
- 業界はSNSの中から生まれて、一般の人々が創りあげている
- 文化は若者の感傷的な心を埋められる、文章・曲・詩・アニメ・動画・絵画が創りあげている
そんな気がしたので、とりとめも無く一記事書いちゃいました。( *´艸`)