雑記ブログは確かに何を書いても言い訳なのですが、何事もバランスというものがあります。
人間の感情を表す「喜怒哀楽」ですが、それらを書くときのバランスが気になる時があります。
- うれしかったこと
- 楽しかったこと
- 悲しかったこと
- 頭にきたこと
これは自分の感情がこの順番に多ければ「幸せ」だろうなって思う順番です。
悲しいことや頭に来るようなことは極力少なくしたいですね!
これは誰でも一緒だと思います。
逆に嬉しいことや楽しいことはいっぱい経験したいし、そういう気持ちに支配されていれば幸せに感じます。
↑ 色々な嬉しいがあるけど、やっぱり人と人との繋がりですね!
雑記ブログは誰かのブログを読むという、また、読んでいただくという種類のSNSの1つだと思います。
そこでの情報の配分はやっぱり怒りや悲しみに支配されてしまうのは残念なことだと思うのです。
- 毎日悲しんでいる記事を読みたいと思いますか?
- 毎日怒りに震えている記事を読みたいと思いますか?
私は思いません…。
日々楽しいことが書かれているブログの中で、ある日そういう記事がポツンとあるのはとても自然なことなのでスゥーって受け入れられると思います。
- 悲しんでいれば心配になりますし、調子が悪かったら「早く良くなって欲しい」と祈るような気持ちになります。
- 怒りに対しては、その気持ちを共有して、「なんてこった!」と一緒に憤慨したりもします。
でもそれが毎日だったら、人の気持ちは離れていくと思うのです。
↑ 悲しいことも日々の中では必ずありますが…
でも、それとは真逆で、
- 毎日嬉しいことを書いている記事だったら
- 毎日楽しいことを書いている記事だったら
羨ましいという気持ちは沸いてくるものの、一緒に悲しくなったり怒りの気持ちを持ったりはしないですよね…。
日々の生活の中で、良いことばかりでは決してないと思うのですが、記事を読むときはやっぱり楽しく読みたいと思うことが多いです。
- へぇ~凄い景色
- わぁ~美味しそう
- きゃーー楽しそう
- そんなに安いんだ!
- おめでとう!
- 素晴らしい!!
そんな記事が多めのブログの方が末永く購読できるように思うのです。
決して「他人の不幸は蜜の味」ではないということです!
「喜怒哀楽」のどの部分を書くのも自由なのが「雑記ブログ」ではあるのですが、やっぱり怒りや涙は少ない方がいいなって思います。
親族が亡くなった記事であっても、素敵な思い出を書いてみたりすると、読んでいただく方も心暖かく一緒に見送って下さるように感じたりします。
↓ 実母が亡くなった時の記事はこちら
皆様の暖かいコメントで本当に心に平常心を持って見送ることが出来ました。
世界の危険な水について書いた記事の中で、2番の「汚い水」では怒りを感じながら書いていました。
それなのに、今では「汚染水を流すな!」と嫌がらせ電話を受けているのは私達の住む日本になってしまっています。
↓ 「世界一危険な海」についての記事はこちら
「自国の現実については全く触れず、他者を攻めまくる」そういう姿勢はどこの国であっても良くない行為だと思います。
↑ 怒りの感情は多少は抑えめに書くけど、それでも毎日は書きたくない!
そんな怒りを伴う記事も私は割と少な目に書いているつもりです。
怒ったり悲しんだりする記事を書く時は、筆(?)が進まないので、結局自分が書いていて楽しくなる記事が多めになってしまいます。
「喜楽哀怒」のバランスですが、私は「4.5:4.5:0.5:0.5」くらいが丁度いいのでは?と思います。
↑ 楽しかったことは何故かスラスラ書けてしまいます(#^^#)
楽しいこと、うれしいことは「平和」につながり、美味しいこと、優しいことは「癒し」に繋がります。
時には悪いことから教訓を得たりすることも必要ではありますが…
自然災害や凶悪な事件が増えてしまった今の私達に出来ることは、「楽しい記事を沢山書くこと」かもしれないって思ってしまう今日この頃ですm(__)m