私はこういう展示スタイルは嫌いじゃないですが、本物のゴッホの絵を観られる訳ではないので「3,000円という金額」がどう受け入れられるかだと思います。
ひとつのショーとして考えると素晴らしいのかもしれませんが、広い館内を人々は歩いて、時に立ち止まってその絵を観るので人の影が邪魔になることもあると思います。
↑ もし君が本当に自然を愛するのならいたるところに美を見出すだろう…
人数制限はしっかりされていると思います。
やっぱり映像を観ることになるので、歩き回らずとも全部が流れるわけで、1つの場所で立ち止まって観る感じになります。
隣り合わせた画面とも違う映像が流れているので、隣が気になったりもします。
感想としては、これはこれでアリなのかもな、でも絵が好きな人にとってはちょっと違うかも…とも思いました。
↑ こんな感じで歩き回るのですが、床も絵になっています
どんな間隔で絵が変わっていくのか…Youtubeを見ていただけたらと思います。
ゴッホは37歳でこの世を去っています。
↑ その人生は壮絶なものでした。
↑ ゴッホは自画像を多く残しています
1853年にオランダで生まれ、小さいときから「癇癪持ち」であったと言われています。
椅子に座っていられない(今でいうADHDだと思います)ため、問題児とされて退学になったこともあるそうです。
絵の才能は小さい頃から持っていたようで、デッサン画も素晴らしいです。
上の学校に進んでも退学になり、大人になって画商の店員になってからも、真っ直ぐすぎる彼の性格から問題も多かったようです。
画商という仕事柄、多くの絵に触れたことで自分で画作を始めます。
どんな仕事に就いても長く続かないゴッホに父親も呆れてしまいますが、見方になってくれていたのは4歳年下の弟の「テオ」でした。
資金援助や生活面での協力もしていたようです。
こんなに良く出来た弟はなかなかいないと思います。
精神面でもゴッホを支え、生きている間は一枚しか売れなかったというゴッホの絵の管理もやり、文通相手にもなって人間関係がうまく行かないゴッホを全面的に支えていました。
↑ 最初は暗い色調の絵を描いていたのですね!
ゴッホが本格的に画家を目指そうと思った年齢は27歳で、亡くなったのは37歳ということで彼はたった10年間しか画家生活をしていなかったことになります。
最初は「ミレー」の影響を受け、暗い色調の絵を書いていました。
↑ ミレーの絵もじっくりと観たいです! パリで観たのが懐かしい
その後パリで弟のテオと同居しますが、この頃の色彩は少しずつ明るくなっていきます。
印象派と言われる絵画との出会いがあったからだと言います。
そしてパリ時代には沢山の花や果物の静物画を描いています。
↑ 立体的に見せるのって凄く難しそうですが…
↑ 人物画も描きはじめ、多くの女性の絵も描いています
この頃、日本の浮世絵に興味を持ちはじめました。
当時のパリは「ジャポニズム」の流れが流行していたので、ゴッホも大きな影響を受けたようです。
↑ 線がくっきりと描かれているのも特徴なのですね…
その後ゴッホはより明るい陽光が降り注ぐ景色を求めて南仏のアルルに向かいます。
彼が描いた「ひまわり」の絵は、全てこのアルル時代のものなのだそうです。
↑ アルルでは沢山のひまわりの絵を残しています
ここでゴッホが住んだ「黄色い家」の一室が昨日の記事でご紹介した「入口の部屋」でした。
ここでパリ時代からの画家を集めて「芸術村」をこの地に築こうとしています。
ところが、ゴッホはたった一年でこの地を去ることになるのです。
唯一ゴッホの誘いに応じてこの黄色い家に住んでくれたのは、画家の「ゴーギャン」でした。
↑ アルル時代の「ローヌ川の星月夜」好きな作品の一つです
お互いに自分の意見を譲ることのない二人はどんどん険悪な関係になっていきます。
ひどい口論の末、ゴッホは自分の耳を切り落とします。
↑ 耳を覆った自画像は有名ですね!
アルルの病院に入院したゴッホですが、村には彼の居場所は無くなっていました。
村民が彼の行動や言動を恐れていたのです。
↑ 「カワセミ」の位置が不思議な作品
その後ゴッホはサン-ミレという南仏の小さな田舎町の「精神病院」に入院します。
発作がない間は、鉄格子越しにラベンダー畑の景色を描いたりして過ごします。
介添え人がいれば時々外にも出られます。
この時代の作品には「渦」や「うねり」が観られるようになります。
↑ 糸杉が題材に出てくるのもこのころです
ゴッホの心の中の不安を表現しているかのような、決して明るくはない絵が増えていきます。
この頃になると花ではなく「糸杉」を題材にした絵が増えていきました。
↑ 人間の骨格をちゃんとわかっていないと歩く姿も書けないものかもしれません…
彼の最後の住みかとなったのはパリ郊外にある「オーヴェール・シュル・オワーズ」という小さな町でした。
ここでゴッホが暮らしたのは70日ですが、その間に80作品も残したと言われています。
どんなに精力的に絵を書き続けていたかがわかると思います。
ゴッホが信頼していたのは医師の「ガシェ」でした。
彼は医師でありながら、休みには絵を書くという趣味を持っていましたので友人としてもゴッホは彼を信頼していたのです。
↑ 晩年には毎日のように作品を生み出していたのですね…
ゴッホの最後は自分にピストルを向けるという悲しいものでした。
そんな彼の人生をゴッホは「絵」に詰め込んでいるように感じます。
決して平坦な人生ではありませんでしたが、全ての出会いと別れが必然であったのかもしれないと思わされます。
私が一番好きなゴッホの絵は弟テオの奥さんが子供を産んだ時に贈った「花咲くアーモンドの木の枝」です。
↑ オランダでこちらのエコバックを買いました(#^^#)
この絵は「清々しさ」「生命力」「尊さ」「優しさ」を感じるのです。
皆さんはどの絵に心を揺さぶられたでしょうか…(#^^#)
以前オランダを旅した時に行ったゴッホ美術館では写真は全く撮れませんでした。
↓ でも入口で撮った写真はこちら
↓ 上野のゴッホ展に行った記事はこちら
出口では一面にひまわりでした‥まるで真夏です(#^^#)
P.S. この後1つの展示会に寄りましたが、明日からはしばらく「名古屋旅行」の記事を書きたいと思いますm(__)m