今日は近所の友人と久々に映画と買物という大好きなパターンのお出かけをしてきました。
先に午後2時過ぎのジョーカーを板橋イオンで観てきました。
その後は久々に「無印良品」に行ったのですが、その辺は明日の記事で書こうと思います。
↑ イオンシネマ…連休にしてはかなり空いていたような…
「ジョーカーフォリ・ア・ドゥ」ですが、レディー・ガガさんは本当にちゃんと役者さんでもあるんだなと…
主演女優賞にノミネートされるだけのことはありますが、歌のシーンは本当に圧巻!
役柄的には好きにはなれませんでしたが…。
今回のジョーカーはどちらかと言うとあまり評判は良くないように思います。
ジョーカー(本名アーサー)は精神病院を経て刑務所に移されていました。
(ホアキン・フェニックス…ボーは恐れている…を思い出しました(^^;))
そこでのジョーカーは、おとなしく模範囚に近かったようですが、ある女性に出会う事によってジョーカーが目覚めるという感じに描かれています。
市民はジョーカーを英雄のように称え、女性リーは「ジョーカー」に惚れていると語ります。
↑ https://www.fashion-press.net/news/88972より引用させていただきました
あっという間にそんな仲に? 本当に一目惚れのようなものだったのか…
今作での主題は何なのか?
私は正に、「ジョーカー」と「アーサー」というその名前による人間の評価の違いが大きいが故に、本人が一番振り回された人生だった…という所にあるように感じました。
- ジョーカーは悪いヤツですが、皆に愛され、神のように祀り上げられた殺人鬼です。
- アーサーは小さい頃から虐待に苦しみ、殺人でしか自分の心の安定を得られなかった悲運な男です。
この二つの魂が同じ人間だからこそ、ここでも語られる裁判での判決が気になるのですが、それすらも私達観客は知ることが出来ません。
爆破が起こるからで、その爆破は裁判所に集まった市民が起こした犯罪でした。
複数の殺人を行った場合、精神が病んでいるかどうかが、「有罪か無罪」の分かれ道になりますが、弁護士は「二重人格・多重人格」という争点で彼に寄り添います。
その弁護士をも罷免し、彼は自分で裁判の弁護をします。
そして彼が最後に主張したのが「自分はアーサーである!」ということでした。
↑ https://www.fashion-press.net/news/88972より引用させていただきました
「ジョーカーが現れてやったこと…」で終わらせなかったのです。
当然、陪審員の評決はどの殺人においても「Guilty(有罪)!」ということで進んでいました。
最後まで聞くことなく爆発シーンになるので、母親を殺害したところがどう判断されたのかまで聞くことは出来ませんでした。
リーは「ジョーカー」を愛し、市民は「ジョーカー」を称え、看守や囚人ですら「ジョーカー」を楽しんでいました。
誰一人として「アーサー」を思いやり、彼の人生を振り返ろうなんて人はいませんでした。
裁判に勝つために「病気」を訴えた弁護士が一番アーサー寄りの見方をしていてくれたのかもしれません。
↑ https://www.fashion-press.net/news/88972より引用させていただきました
囚人には傘さえも与えないルールがあるんですね…
何故、辛口の感想が多かったのか…と考えます。
虐待を受けたものの精神の在り方や、壊れていく過程で自身の妄想と現実がわからなくなる瞬間のことなど観る側は深く考えてはおらず、「ジョーカー」の激しさやカリスマ性に魅了されていたのかもしれませんね…。
今回の映画では、
- 精神の安定
- 恋に落ちる
- ジョーカーの復活
- 裁判の展開
- 爆発
- ジョーカーの死
という展開で、決して前作ほどの衝撃的なシーンは少ないと思います。
↑ https://www.fashion-press.net/movies/gallery/24337/40929より引用させていただきました
撮影風景が観たかったな…
そこが「ジョーカーの映画」らしからぬ作品としてあまり受け入れられなかったのかもしれません。
そして妄想のシーンがミュージカルやショー仕立てになっているところも、日本人には違和感でしかない‥というのも友人の感想でありました。
↑ https://www.fashion-press.net/movies/gallery/24337/40928より引用させていただきました
私は「人間の心が壊れていく恐怖」としては、この映画はしっかり捉えていたのではないだろうか…とも思いました。
彼は精神病だったのか…??
私は「病気であった」と考えます。
これは「アーサー」が抱えきれずに引き起こした内面の爆発が、「ジョーカー」という仮面を通して引き起こされた事件だったのだと思います。
↑ https://www.fashion-press.net/news/88972/2より引用させていただきました
そういう風に逃げたいから現れるのが「二重人格」であり「多重人格」の別人格だと思います。
別人格を褒められ、愛され、崇拝されたアーサーは生きていたとしても、もう一人別の人格を生み出すしかなかったのではないでしょうか…。
英雄でもなんでもない、「アーサーという一人の人間の孤独で寂しい人生の物語…」で終わらせてしまったこと…
それで良かったのかはまた別の問題のような気がします。