とっても可愛らしい感じもするこの「錦帯橋」があるのは、山口県岩国市です!
私の母(産みの母)の生家はこの岩国にあります(#^^#)
小さい頃からおそらく母の里帰りで4回ぐらいは訪れています。
↑ こちらが錦帯橋です!
↓ 私には産みの母と養母が存在してややこしいですが、それに関する記事はこちらです(笑)
慶長5年の関ケ原の戦いで毛利輝元に仕えていた吉川広家は徳川の勝利を見越して「中立を守るから毛利氏の領国112万石はそのままにして欲しい」という密約を交わします。
予想通りに勝利した徳川家康は密約を反故とし、一度は毛利家のお家断絶を決めましたが、広家はそれを残念に想い毛利家存続のために全力を注ぎました。
その甲斐があって、家康は毛利家の断絶を改め、輝元へ周防国・長門国を与えることにしました。
吉川広家もまた周防の東の要所となる岩国(3万石)を与えられ、出雲の富田からこの岩国の地に城下町を作ることにしたのです。
お城は横山の山頂(岩国城)に築いたものの、川の対岸を中下級武士や町民の居住区としたため、その行き来が困難であるとして橋を架けることになります。
しかし度々の出水で流出することも多く、渡船によって行き来する日々が続きました。
これでは政治的な面でも立ち行かないということから、「流れない橋」の研究が進められました。
吉川広嘉は有能な技術者であった児玉九郎右衛門兄弟を長崎に派遣し、眼鏡橋など長崎の石造アーチ橋を研究させました。
川幅が広いため、どうしても1つのアーチでは渡しきれないという難題がありました。
身体を壊した広嘉が長崎から呼び寄せた名医の故郷である中国の杭州についての話の中からヒントを得ます。
杭州にある名勝西湖にある5つの島に架かるアーチ橋の絵を見せてもらうと閃いたのです!
「そうだ!!川に幾つかの島を作ってその島をアーチで繋いでいけばいいじゃないか!」
こうして出来た錦帯橋は、何度か架け替えを行いつつ今の形となりました。
大幅な再建が行われたのは昭和28年1月のことでしたが、その後50年ほど経った平成13年に架け替え工事が行われました。
私が最後に錦帯橋を渡ったのは平成8年ぐらいだったと思うので、最新の錦帯橋をまだ見ていないことになります。
↑ ライトアップされた夜の錦帯橋から桜をみる!最高!
夏には「鵜飼い」もライトアップの元で観ることが出来ます(#^^#)
錦帯橋は、大正11年3月8日に史蹟名勝天然記念物保存法によって名勝に指定されています。
そしてタイトルを覆してしまうような事実…
実は錦帯橋は釘を全く使っていない訳ではありません。
というのも、実際に見ても分かるのですが、橋板の部分には釘が多数使われています。
しかし構造部分に関しては一切釘を使用しておらず、精緻な木組みだけで造られているということです。
日本古来の継手や仕口が使われていて、その美しさには感動しちゃいます(#^^#)
現在では世界遺産の登録に向けた活動も行っています!
↑ こんな感じで歩行部は階段状になっています。
そして、ここへ来たら是非寄っていただきたい食事処があります!!
「山賊」というお店で山口県に3店舗ありますので、是非立ち寄ってみてください。
↓ 詳細を書ききれないのでホーページを貼っておきます!!
若鶏を豪快に焼いた「山賊焼」は超オススメです(#^^#)
↑ https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_246/より引用させていただきました
その他に子供の頃に感動した大きなおにぎり「山賊むすび」もきっと忘れられない味だと思います。
↑ https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_246/より引用させていただきました
川魚では山女(ヤマメ)の塩焼きや鮎の塩焼きが絶品ですし、お肉料理だと焼き肉やサーロインのステーキもあります!
大昔に行った(私が子供の頃も)ので、相当歴史は古いのかなと思います。
もう一度ここへは行きたいと思っていて、本当は母が健在な間に弟たちと岩国へ行けばよかったのですが、母の兄弟も亡くなっていて行く元気はないと言っているようです。
それでもいつか1人旅であっても行きたい場所なんです(#^^#)←ヒトリジャタベキレナイカモ
関西までは行くけどなかなかその先まで行けないという方には飛行機がオススメです!
ANAの「バリュー切符」で片道18,390円でひとっ飛びです(笑)
ANAのツアー「ANAトラベラーズダイナミックパッケージ」を利用すれば、東京からでも朝食付きホテル3泊4日のツアーで、Go To利用で38,900円で行けちゃいます。
本当に今しかないと思いつつ、なかなか毎週末に旅行する余裕もないので、いつ行けるのかな~って思っちゃいます!!
海外へ行けない今だからこそ、本当は色々と日本を旅したいですね!