特に西洋やアメリカでは、日本人の「謙遜」や「同調」はどう捉えられているのでしょうか。
両方について書いてみたいと思います。
- 謙遜
- 同調
どちらも日本人として、誇りに思ってもよい「良い点」も沢山あります。
1.謙遜
「謙遜」は外国人にとっては、
- 自信がない
- 自分のことをわかっていない
- 他人と関わりたくない
という風に捉えられたりします。
「わたしなんてとてもじゃなけど、そこまで結果を出せません」
これって日本ではそこそこ頑張って結果を出している人が言ったりする言葉ですね!
しかし、外国人はそのまんま受け取ります。
「ああ、この人は結果が出せない人なんだ…自分に自信がないのね!」と…。
これを会社とか学校とかで評価を下す人の前でやってしまうと、とんでもない評価になってしまいます。
また、
「うちの子はそういう点では、足元にも及びません」
これは他の面は及第点だけど、そこはちょっと苦手なのよね!と日本人だったら理解するところでしょう。
しかし、外国人は良くない方に受け取ります。
「ああ、この子は本当に出来ない子なのね!」と…。
謙遜する場合は、
- 「そこは出来ないけど、ここは凄く出来る」といった対比の表現か、
- 「私もそこは出来るけど、ちょっと好きじゃないからやらない」
位にしておいた方が良さそうです。
↑ 小さい頃から個性を大切に褒められて育っているのだと思います
褒められたら素直にお礼を言いましょう。
否定する必要は全くありません。
謙遜=出来ないレッテル
と思って間違いありません。
これはニューヨークでも、先生によく言われました。
「日本人、悪いクセね~!」って日本語で言われたので、強烈に残っています(笑)
2.同調
これは周りの「空気を読む」ことが得意な日本人には有りがちな咄嗟の反応です。
「そうね、それでいいと思う」
特に目上の人の意見だったり、先輩のいう事だったりには同調する方が良さそうに感じてしまいます。
しかし、外国人には「空気を読む」習慣はほとんどありません。
大抵の場合は「本当にそう思っている」と取られます。
全面的に賛成してくれたと思っているので、より突っ込まれることもあります。
「じゃあ、どうすればもっと良くなると思う?」
これは結構ドギマギしてしまいます(笑)
また、
「どっちでもいいよ!」
これは良く日本では使いますね(#^^#)
食べ物だったり、旅行先だったりを相手に委ねる時に使用する言葉でもありますね!
しかし、外国人には「自分の意見が無い人」と取られたりします。
または、「興味がないのか?」と勘違いされたりもします。
良かれと思って相手に委ねたのに、
「そんななら来なくていいよ!」と言われたらビックリしますね(>_<)
↑ なんでもYes!かNo!というのは中々難しいものです
自分の意見はしっかりと伝えることがとても重要になります。
「ハンバーガーにする?ピザにする?」と外国人の友達に問われたりしたら、私はすかさず「私はピザがいい!」とハッキリ伝えることにしています。
なのに不思議と日本ではすぐに「どっちでもいいよ~!」が出ちゃいます(;´Д`)
つまり、海外にいる時は、常に「自分はどうしたいのか?!」を意識していたように思います。
- 曖昧な答えにならないように、
- 自分を下げて言わないように、
- 意見はハッキリと言うように、
留学中は随分鍛えて貰ったと思います。
一年ぐらい海外にいてもそれは一時のこと。
今行けば、またついついクセが出ると思います(^^;)
そして、「謙遜」も「同調」も悪い事だとは思っていません。
↑ 日本には日本の文化が育んだ「思いやりの心」があるのですから…
日本は「和」をとても大切にしていますね!!
私は日本では日本人らしい言動をしていると思います(笑)
それに、気を遣い過ぎる必要はありませんが、空気は読める人でありたいです!