私は養女ということで、育ててくれた養母は実父のお姉さんにあたるので叔母さんです。
養女に貰われてすぐに養父が亡くなったので、結婚するまでずっと養母と二人暮らしでした。
私は3歳でした。
養母は「弟から貰った子供」という意識が強く、外に出して「事故」や「病気感染」「誘拐」などのリスクに直面させることを極度に恐れていたのです。
「バレエを習いたい」と言ったときも、「足の怪我も怖いし、発表会とかに連れていけないからダメ」と言われました。

↑ いつもいつもこんな風に外を眺めていました
チャッピーが凄く雰囲気抜群の絵を描いてくれて…(#^^#)
そのため、家から数メートルに家がある友達以外は外出が禁止されていました。
- 小さい時に近くの公園に行くのも禁止
- 学校も大通りまでは送り迎えにくる
- 友人の家に外泊が許されたのは近所に限って12歳から
そんな感じでした。
例外が一つだけあって、夏休みや冬休みには長期で横須賀の実父と実母、弟たちの家に行って数週間過ごすことだけは許されていました。
大抵は養母が送ってくれるか、実父が迎えにきてくれていました。
籠の中の鳥
そんな感じで育った経験がこんな「旅行好き」「外出好き」を育てたんだと思っています。
- 弟たちと一緒に実母の実家に遊びに行ったり
- 家族4人と私でお出かけしたり
- 横須賀の海でタニシを取ったり
そんなことが何より楽しく、「いつもの生活に帰りたくない!」って常に思っていました。

↑ 今思えば結構危ないことしてたなって(;´∀`)
でも私が海好きになったのはこの経験からなんだと思います!
もう一つ、その頃の経験から今に繋がっていることがあります。
それは「友人と行動することの多さ」だと思います。
家では常に一人ぼっちでした。
相談する相手もいませんでした。
だから話したいことはまとめて年に2回だけだけど、弟たちに話していたように思います。
学校でもおとなしいので友達はあまり出来ず、一緒に遊びに行ったりできないので相手にしてもらえませんでした。
だからこそ中学で出会った近所の友人は貴重な友人でした。(今でも時々記事に登場しています(笑))
大人になって会社勤めが始まったら、養母も何も言わなくなったので、それはもう青春を謳歌しまくりましたね…(*´∀`)
まるで鳥が羽ばたいて、巣を忘れる位の勢いです!(笑)

↑ 正にOLになったらこんな感じでした(笑)
友人も私に付き合うのが大変だったことでしょう…
会社が変わっても友人が出来まくり、一緒に行動をしまくりました!(笑)
- 転職してから出来た友人とはニューヨークに一緒に留学もしました。
- 吉祥寺の友人も社会人になってからの友人です
- 誕生日旅行を企画している友人もそうです。
- キャンプ仲間も今の会社に入ってからの仲間です。
それが今に繋がっていて、社会人になってからの友人がけっこう多いという現状になっているのです。
子供心に「外に出して貰えないストレス」はかなりあったと思います。
飼い犬と遊ぶのが唯一の「遊び」だったので、動物が大好きになりました。
「三つ子の魂百まで」と言いますが、その当時に感じた『孤独』はずっと今の行動に繋がっているんだと思います。
自分の子育てでは、絶対にそんな想いはさせたくない!
反面教師だったと思うのですが、
- 「好きなことややってみたいことは全部やりなさい!」
- 「行きたいと思う所はママが連れていくからどんどん言ってみて!」
そんな風に真逆な思考の親になってしまいました(*´∀`)
子供たちは次々と色々なところに連れていきました。
そして主人が行けなくても、私だけで二人を海外にも連れていきました。
「ダンスやりたい!」そんな娘の言葉にも、しっかり習わせてきましたし、「ゲームやりたい」という息子には時間制限を設けたりもしながらもとことんやらせました(笑)
別に今になって、養母が間違っていたとは言えない部分もあります。
アメリカで育った母(日系人のため)が、日本のルールもよくわからずに私を女手ひとつで育てるのは大変だったと言うことはわかるからです。
おかげで私は「旅好き」になれた!それには感謝の気持ちもあったりします。
そしてもう一つの感謝は「子供たちを自由に育てられた」ということかもしれません。
そんなことを考えたりしましたが、
「やっぱり子供は籠の中で育ててはいけない…」

↑ 上の絵と何が違うでしょう(#^^#)
私の場合は反動が起こった訳ですが、籠(家)の中が心地よかったら「引きこもり」に繋がっていたかもしれないからです。
自分の経験からですが、つくづく幼少期の体験は大人になってからの生き方に影響する。
そんな風に思っています。