自分の置かれた環境から解き放たれた異国の地ほど、冷静に自分を見つめられる機会はなかなかありません。
日々に忙殺されている中で、やっとそのお金で得た心がフリーになれる大切な時間。
特に一人旅の場合は、初日の夜から実感すると思います。
離れて想う、
- 我が家と家族のこと
- 仕事のこと
- 友人のこと
時には過去にうんと遡って考えたりもします。
若い頃の私は、自分の生い立ちについて考えたりもしました。
そして子供が大人になり、すっかり手がかからなくなった最近では、亡き父や養母のことを思い出したりもします。
- 子育てが大変だった時のこと
- 養母の介護でぐったりして自分を見失っていた時のこと
- 仕事に戻りたくても戻れなかった日々のこと
「今この地に立てているのは、自分が元気でいたからだ!」と改めて感謝の気持ちも湧いてきます。
いつものベランダからの景色ではないからこそ、日が昇り、日が沈む様子までが自分にエールを贈ってくれているように感じます。
↑ 釜山の海でのんびりできる日が待ち遠しい!
知っている人は誰一人いないこの地で、私はその人混みに紛れて自由に歩いている!
そのことがちょっと誇らしいような気もしてきて、背筋がすっと伸びていきます。
- 美術の教科書やポスターでしかみたことのない絵の前に立ち、ゴシックなのかロマネスクなのかハッキリとはわからない教会の門をくぐる
- 全く読めないメニューからチキンを選び、隣の人と同じものを期待するけど、全く違う食べ物が運ばれてくる
- アサヒやキリンじゃないけど、すっごく美味しいと感じられるビールを飲みながらホテルの窓から暗い空を見上げる
そして思うんです。
もうこの地に来ることはないかもしれない。
- 人生ってそう考えたらなんて短いんだろう。
- 生まれ変わったら今度はどこの国の誰になるんだろう。
そんなとてつもないことを考えられる時間は日常の中では、なかなか作れないと思います。
家に帰る日帰り旅だったらなかなかそこまで思いを巡らせることはないでしょう。
異国の地だから、ちょっとおセンチにもなれるし、ちょっと現実離れした思考回路にもなれるんだと思います。
そして、またどこかの知らない国で色々なことに想いを巡らせたいと思うんです。
↑ アムステルダムの運河も海に繋がっているんだよね!
きっと脳内のセロトニンとかという物質が出まくっている可能性もありますね(笑)
- 道に迷った時に一生懸命に教えてくれた上海のお店のお姉さん
- お土産に悩んでいた時にゆっくりと分かりやすい英語で説明してくれたサンフランシスコのお兄さん
- どちらにするかコインケースの色で悩んでいた時、笑顔で指刺ししてくれたフィレンツェの老舗皮革店の上品なおばさま
そんな一瞬を私は一生忘れないでしょう。
勿論、彼らにはもう二度と会うことはありません。
だけど、私の記憶の中で、老いてボケてしまうまではきっと残り続けるんだと思います。
私は誰かの記憶の中に残ることをしてきただろうか?!
思い当たることは1つもありません。
道を教えたりしたことはありますが、その外国人にとって私は記憶に残っているのでしょうか。
そんなことも考えたりします。
↑ バルセロナの海も本当に広かったなぁ~
そしてコロナになって思うことも沢山あります。
- あのこじんまりとしたローマのカフェは今も潰れてはいないか?
- あの多くの人で賑わっていた台湾の夜市はいつ活気が戻るのだろうか?
- あのアンダルシアで素晴らしいステップを踏んでいたフラメンコの少女はどんな大人になっているのだろうか?
だから旅はやめられないのです(#^^#)
だからこんなコロナ渦でも、次の旅へ想いを馳せるのです。
誰も知らない自分の心の中の宝物をしっかりと増やして、生活の糧にするためにまた旅を繰り返すのです!