「銀河鉄道の父」は予告を観ていた時から絶対に観たいと思っていたので、平日休みに一人で行ってきました。
食べて出たのでランチもせず、真っ直ぐに新宿のTOHOへ!
実は帰りに娘と待ち合わせて、初の「東急歌舞伎町タワー」に行ってみたのですが、長くなりそうなのでそこは明日の記事で書きたいと思います。
お客さんの年齢層はかなり高かったと思います。
まず、「宮沢賢治」の本って凄く有名ですが、何冊も読んでいる方はどれ位いらっしゃるでしょう。
私は3冊位は読んでいますが、あまりちゃんと覚えてはいませんでした。
時は明治29年、父宮沢政次郎と母イチの長男として生まれ、質屋を営む宮沢家の跡継ぎという期待を背負っていました。
↑ https://www.fashion-press.net/news/93587より引用させていただきました
小学生の頃に赤痢を発症して入院した賢治に父はずっと付き添い、自らも感染して「胃腸カタル」を患って生涯胃腸に苦しむことになります。
賢治には姉弟が沢山いましたが、おじいさんの喜助は「商売人に学問は不要」と進学には反対でした。
ですが、父・政次郎は「わたしは新しい時代の父である」と宣言し、中学校への進学を許してくれました。
その後も希望した盛岡高等農林学校への進学も許可し、割と賢治の思うような進路を進ませてくれたのも父政次郎でした。
家族は浄土宗でありながら、本人は「日蓮宗」に傾倒し、周りからは「気がふれた」とも言われるような行動もしてしまいます。
↑ https://www.fashion-press.net/movies/gallery/24425/32118より引用させていただきました
賢治は質屋の跡継ぎでありながらも、自分のやりたい道が見つからずに葛藤していたのでしょう。
農林学校で学んだ農業について、地元の農家の先生として色々と手ほどきもしますが、本人が大好きだった「もの書き」の才能を一番認めてくれていたのは妹のトシでした。
結局何にもなれない自分に嫌気がさすものの、質屋を継ぐことも出来ないまま、賢治は家出をしますが、「トシが結核で倒れた」ことを知り故郷へと戻ります。
↑ https://www.fashion-press.net/news/93587より引用させていただきました
当時、結核は不治の病でした。
賢治が書く物語が大好きだったトシのために、「物語」を書き始めるのです。
「風の又三郎」
どっどどどどうどどどうどどどう…
トシは目を輝かせます!
「お兄ちゃんのお話が大好き!!」
トシが亡くなると賢治はもう何も書けないと言いますが、父は「俺が賢治の一番の読者になる!」と宣言し、賢治は物語を書き続けることになります。
やっと見つけた本当にやりたい仕事を前に、賢治には大きな試練が!
多くのお客さんが涙しているのが伝わってきました。
この映画は役者の技量が問われるな!と思いました。
役所広司さんの演技、そして菅田将暉さんの演技は政次郎と賢治そのものでした。
父はどこまでも長男を信じ、そして愛し、彼の作品をも愛し続けます。
親とはなんと有難い存在なのか…。
そして妹トシの存在がなければ、「宮沢賢治」の作品は世に出ていなかったであろうと言うことです。
現代人が忘れかけているものを思い起こしてくれるような映画だったと思います。
大自然の山々、雪景色、農村の稲穂など、映像美も見事でした。
宮沢賢治は存命の頃は無名でしたが、後に誰もが知る作家として、今なお読まれ続けています。
画家や作家にはそういう方も多いですね…。
↑ https://www.fashion-press.net/movies/gallery/24425/32115より引用させていただきました
最後に父が褒めた「雨ニモマケズ」の詩を読み上げる時にはきっと誰もが涙すると思います。
もう賢治は起き上がることも出来ません。
賢治は37年の生涯を終えます。
↑ https://www.fashion-press.net/movies/gallery/24425/29991より引用させていただきました
私はこの映画を観て、一つだけ「自分は間違ったことをしていない」という強い気持ちを持って帰ることが出来ました。
「子供たちがやりたいということを全力で応援し、自分が一番のファンであり続けること」
- 誰がなんと言ってもです!
- たとえ誰もその名を知らなくてもです!
- いつか有名になるなんてことがなくてもです!
私は子供を信じ、子供が選んだ道を応援することしか出来ません。
だから死ぬまで2人のファンであり続けたいと思いました。
今この年齢で、この環境で観ることが出来て良かった映画です!
是非、家族の愛を感じに行ってみてくださいm(__)m